田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
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日刊田中けん

アニメ「惡の華」第8話を見ていられなくて

※ネタバレ注意


まずは惡の華という作品について、簡単に概要を説明する。


 


主人公は、中学2年生の春日高男。内向的な性格で、クラスメイトの佐伯奈々子に片思いをしていた。


 


ヒロインは、同じく中学2年生でクラスメイトの仲村佐和。無愛想で冷淡。しばしば周囲に対して暴言を吐く。どうしようも無いクラスの嫌われ者で、常に孤立した存在。


 


もう1人のヒロインは、佐伯奈々子。美少女で成績優秀な優等生。


 


春日高男は、片思いが高じて、ある日、佐伯奈々子の体操着を盗んでしまう。その現場を仲村佐和に見られてしまう。仲村佐和は、春日高男を脅し、無茶な要求を何度もする。春日高男は、仲村佐和から命令される無理難題な要求を受け入れたり、拒否したりしながら、生活を送るようになる。多くの矛盾やストレスを抱えつつ、春日高男は仲村佐和に対して、本人も知らず知らずの内に好意の感情を持つようになってしまう。


この様な過程を経て、第7話にして、春日と仲村は、夜の誰もいない自分たちの教室に忍び込む。そこで仲村は、またもや春日に対して無茶な要求をする。


「(目の前の春日に向かって、仲村がチョークを持って、背後の黒板に対して)書け、書くの。春日君の本当のこと全部。佐伯奈々子の体操着を盗んで、ありとあらゆるところに擦り付けまくって、それを着てデートして、おまけにそのまま告白までしたクソ人間の完全変態は私、春日高男ですって。それでこの体操着をおいておけば、明日学校に来た佐伯さんに見てもらえるよ」


こんな無茶な要求に対して、春日は当然、その要求を拒絶する。そんな春日に失望した仲村は教室を去ろうとして、捨て台詞を言う。


「もう二度と私に口きかないで。さようなら」


仲村に捨てられることに耐えられなくなっていた春日は、自暴自棄になり、「チキショー」と言って奇声を上げながら、仲村の要求通り、自分がしてきたことを黒板に書き連ねる。


「それだけ? 全部ぶちまけろよ。春日君の中身。この教室をクソ虫の海にしてよ」


そうせかされた春日は、ありったけのチョークを教室中にばらまいて、黒板だけで無く、教室の床にもチョークで文字を書き始める。しかもそれからすぐに、仲村が取り出した墨汁と筆で、教室の窓や床にも文字やら模様やら線を書き始める。


チョークと墨汁で、教室をメチャメチャにする様子がスローモーションで展開されて、第7話が終わる。


 


 


さて、第8話がどのような展開になるのか想像して欲しい。
あまりにも痛々しくて、私は第8話を見ることをためらった。どこをどう考えても、春日の未来に明るい展望が見えてこないからだ。
一時の感情で、人は愚かなことをしてしまうことはある。また人からは愚かなことだと思われても、自分は正しいと信じて行う確信犯の場合もある。


しかし、この教室をメチャメチャにしてしまう行為のどこに正当性の欠片でも残っているのだろうか。アニメを見ている視聴者の一人として、主人公である春日の心情を理解して、最大限弁護したいと思っても、その弁護に値する論理が見つからない。


それに明日から、春日はどのように学校生活を過ごすことができるというのだろうか。仲村は、春日をそそのかした札付きの嫌われ者だから、クラスでますます孤立したところで、何ら動じることはないだろう。
しかし、春日は内向的で、屈折した心情は持っていつつも、とても他人からの悪評に耐えられるような人間では無い。常に人目を気にしながら、オドオドしながら、これまでの学校生活を送ってきたような人間だ。
その人間が、一時の精神的圧力に屈して、普通ではとても考えられないような狂気を演じてしまった。



これほどまでに、私を見るに堪えない気分にさせたアニメは初めてだった。


続きの第8話を見ようとするのだが、主人公達の未来が想像できず、その痛々しさに目を背けたくなる思いで、何度もポーズボタンを押しては、映像を止めた。ここまで私を不快な気分にさせるアニメとは、相当なものだと、逆に感心してしまったほどだ。


 


人間とは、ある一定の精神的圧力を受けると、普通では考えられないような狂気を演じることができる。世に、殺人を含め、多くの犯罪を犯してしまう人はいる。常人は「とても人間の仕業とは思えない」などと軽く口にするが、それも人間なのだ。
これは人間誰しもが持つ潜在的な狂気なのだ。



「決して私は犯罪など犯さない」



そう言い切ってしまう人がいたら、それはとてもおめでたい話だ。
私の人間理解は全く違う。


人間誰しもが、時と場合によっては、犯罪者になりうる。


その可能性を否定できない。
これこそが、私の人間理解である。


政治に携わる人間は、より正確に人間を理解していないといけない。


 


私は誰が何と言おうとも、自分が持つ人間観を変えるつもりは無い。


2013年06月29日