田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

「レッドクリフ PartⅡ」を見て

 先日、「レッドクリフ PartⅡ」を見ました。
 作品自体はそれなりに楽しめたのだが、随分と私が知っている史実とは違うようです。もちろん、私が知っている史実とて、誰かの創作を史実と思い込んでいる可能性はあるのでしょうが。

 突っ込みどころは、たくさんあります。
 印象的だったのは、苦肉の策で有名な黄蓋の存在がほぼ無視され、曹操を侵攻を遅らせる役割として、周瑜の妻、小喬が、単独曹操の陣へ乗り込み、曹操に茶をふるまうことによって、時を稼いだ点です。
 また戦後、曹操の負けが確定した時点で、周瑜が曹操を逃がすシーンがありましたが、これは関羽が曹操を逃がすはずだったはず。
 ここらへんなどは全くの創作と言って良い場面なのでしょう。

 このように、歴史物の芝居は、ある程度史実に沿って描かれているとはいえ、ところどころに創作が入ります。もちろん、これを創作として見ている分には面白いのでしょうが、史実だと思って見てしまうと、混乱が起こります。
現実社会にも影響を与えます。

 多分、映画とは、ヒトラーの時代から、とても便利な「洗脳道具」として機能してきたのでしょう。
芝居を現実だと思う。または現実は芝居に反映されていると思う。
この様な錯覚は、日常茶飯事に行われていることです。

 一時、テレビゲームばかりをやると「ゲーム脳」と言って、現実と仮想空間の区別がつかなくなると言われて批判されてきましたが、もしそれが事実だとすれば、小説の読み過ぎや映画の見過ぎにも全く同じような現象が現れてもおかしくないでしょう。
 これはゲームやアニメに対する偏見からする差別意識が、特定の「創作物」だけを攻撃対象にした仮説だと思います。

 それはそうと、物語が現実社会に影響を与える効果を私たちは無視できません。
 韓国ドラマを見て、どれだけ多くの日本人が韓国ドラマの撮影地を訪れたことでしょう。
アニメ「らき☆すた」を見たファンが、どれだけ埼玉県鷲宮神社へ訪れたことでしょう。
素晴らしい物語が「聖地巡礼」と称して、多くのファンを、その地へと呼び込むのです。

 キリスト教ならばエルサレムへ。ローマへ。サンティアゴ・デ・コンポステーラへ。
 イスラム教ならば、メッカへ。

 そういえば、宗教そのものが、壮大な物語ではないですか。

 その1万分の1位の物語性が、我が江戸川区にもあれば、区内を訪れる観光客も増えるのでしょうが、残念ながら、そのような物語性が、私の住む自治体には、全くと言っていいほどありません。
 我が町に多くの観光客が来て欲しい。これは大小の差はあれど、どの自治体も考えていることだと思います。自分たちの街をいかにして物語の中に織り込むことができるのかと。
 それに成功した街だけが、多くの人たちを観光客として迎え入れることができるのです。

 そう今からでも遅くない。ご当地を舞台にした物語を作っていこうじゃないですか。


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2009年04月20日