田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

自殺を減らす福祉の充実

 私が大学生の時、友人と自殺について論争をしたことがあった。
 自殺を認めるのか、それとも認めないのか。
「自殺は良くない」
 この命題に反対する人は、まずいないだろう。
 私とて、反対はしない。
 しかし、当時から私は「自殺は良くない。でも仕方が無い」という立場だった。消極的ながら認めるという考え方だった。
 なぜこの様に考えるかと言えば、その人にとって「現世は生き地獄」。その現世からの逃亡が自殺という行為。もし自殺が良くないとなれば、その人は、これからもずっと生き地獄を生き続けなければならない。それはその人個人にとって幸せなことなのだろうかと。



「生きていれば何とかなる」



 単純な生命至上主義な言い方は、多分、その人の胸には何も響かない。仮に今ここで生き延びたとしても、バラ色の明日を保証しない言い方は、無責任で、かつ暴力的にさえも聞こえるかもしれない。今ここで生き延びたとしても、明日また死にたいと思うかも知れない。
「それでは、生き続けることで、私の不幸をあなたが何とか解消してくれるのですか」
 そう問われて、何か説得力のある返答ができる人がこの世の中にいるのだろうか。その人が自殺を踏みとどまるだけの、何か説得力がある言葉を生み出せる人がいるとでもいうのだろうか。

 日本で一番自殺者が多い山梨県の樹海に行って、目の前の自殺を防げたとしても、真に自殺をしようする者は、何度でも別の場所でも自殺を試みるはず。自分の目の前の自殺を防げたとしても、それが明日、あさっての自殺を防ぐことの保証にはならない。
 自殺を防ごうとする者の心理とは、「私の目の前では死んでくれるな」であって、自分の目覚めが悪くなることを防ぐだけの単なるその場しのぎに過ぎないかも知れない。

 日本を経済大国と見なせば、「一流国」のようにも思えるが、経済ではなく自殺率を指標として考えれば、日本は世界でも希に見る自殺大国であり、完全なる「負け組」とも言える。

 なぜこれほどまでに自殺が多いのか。日本の現状を表す言葉として、「閉塞感」という言葉が今、一番ぴったりしていると思う。何をやってもうまくいかない。何をやっても変わらない。何をやっても出口が見えない。そう何をやっても、何をやっても・・・・・。
 何をやってもダメならば、何もやらなくてもいい。そう人間だってやらなくたっていいじゃないか。自分のような人一人いなくなったって何もかわらない。

「自殺したい者は自殺すればいい」
 最大限自由を認める個人主義的な考え方に従えば、何も自殺を問題にすることはない。

 前世紀から今世紀にかけてのヒーローは「逃げちゃダメだ」と繰り返し言い続けて戦っていた。
 しかし、ヒーローが逃げてはいけないというのは、美学であって、戦術じゃない。敵を目の前にして、逃げるヒーローを、私たちは一度でも、子ども番組の中から見つけることができるだろうか。
 後藤又兵衞は、大阪夏の陣で寡兵ながら奮戦し、死んだ。 
 真に強き者は、逃げることに躊躇しない。織田信長は浅井・朝倉との戦いにおいて、不利だと思えば、部下を置き去りにして一目散に逃げた。徳川家康は、三方ヶ原の戦いにおいて、敗走したとはいえ城まで逃げ帰っている。

 いにしえの中国の兵法にも、味方の数が少なければ退却しなさいと説いている。
 現状分析において冷静な判断ができず、負けると分かっていても戦わなければならないと思い込むのは、1%以下の勝利を盲信し、結果、局地戦において全滅した旧日本軍の行動原理に通じないだろうか。

 日本にあっては、死ぬと言うことは、決して悪いことではなかった。いやむしろ名誉ある行為として考えられた。戦争中「立派な男子は潔く死ぬべきであり・・・・・」と教えられ、生き恥をさらすなと言う教えがあった。
 死を美化したり、死をもって罪が許されると考える日本の文化背景を考えると、今後、そう簡単に自殺がなくなるとは思えない。

 自殺とは「人間が行う現世に対する評価行為」なのだ。そう考えれば、自殺者が多い日本社会は、世界の中でも極めて悪い社会であるとも言える。
 そんなに悪い社会で、これからも生き残る術があるとしたら、それは何なのか。

 昔から、私はブラックジョークとして、これからの日本で生き残る3つの方法を提唱していた。
①もしあなたがお金持ちならば、国外へ逃げましょう。
②もしあなたがそれほどお金を持っていなければ、宗教に入信しましょう。
③もしあなたがお金もなく、宗教も嫌いだというならば、自殺しましょう。
 と、このようなナンセンスなジョークを言い続けていたが、つい最近、自殺したくない場合の4番目の方法を見つけました。

④自殺もできない場合は、何か軽い犯罪を犯して、刑務所に入りましょう。少なくとも最低限の衣食住は保証してくれます。

 実は私のブラックジョークが、ブラックジョークではなく、もう既に現実化しているところに、この日本の問題の深刻さがあると思うのですが、いかがでしょうか。

 きまじめで、責任感が強い人は、社会に適応できないことを社会の責任にするのではなく、自分の能力の無さに求めてしまう傾向があると聞きます。厳しいまでの内罰的な性格が、自分への罰として自殺を選択させるのでしょうか。
 結果に対する考察が、個人の能力や努力によって評価されてしまうこの社会は、いいわけが難しくなった分だけ、個人への攻撃が厳しくなるものです。生きるためだけならば、身分制社会の方が、色々なことを「できない理由」にして、個人が免罪されていましたから。

 「世間はそんなに甘くない」と脅され続けて生きてくれば、萎縮してしまうのも仕方がありません。

 何の野心なく、害なく、生きていくためだけの人間ならば、日本国憲法第25条の精神に則り、「最低限の生活」の保証を、国や自治体が底上げしていくことが必要です。
 福祉に関しては、不正受給が問題視されますが、その問題は解決を模索しつつ、あまりにも追い込んでしまうと、人間は自殺する動物なのだという認識も持ちつつ、「自殺を減らす」福祉の充実が、必要だと言えます。

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2009年05月15日