田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

リスクを負わない権力批判は、「ごっこ遊び」にしか過ぎない。

 なんでも米国のコンサルティング会社によると注目の指導者の第3位が小沢一郎氏だということになっている。
 さぞ権力があるのだろうと想像できるし、それは否定しない。
 しかし、こと日本の中だけならば、小沢一郎氏よりも権力を持った存在がある。それが警察、検察だ。


 政治家批判とは、庶民の娯楽のような部分があって、「小沢一郎のバカ野郎」とか「民主党なんか潰れてしまえ」などと言っていると、それだけで日常生活の苦労によるストレスが、少しは解消した気分にもなる。
 日本とは何て良い国なのかと思うのは、このように世界第3位の指導者を馬鹿者扱いしたところで、日本国民は逮捕されない。


 しかし、これが検察相手だとそうはいかない。彼らは国民を逮捕する権利を持っている。もし本当に、この人間は、検察組織にとって不都合となれば、痴漢冤罪から、スピード違反まで、何をやってでも逮捕することができる。今では、共謀共同正犯という概念もあって、実際に犯行を犯した実行犯でなくても、その人を知っていた、その人と何か接点があったという理由だけで、その人と同罪ということで逮捕できるのが、日本の検察である。


 つまり真の目的が、「検察利害に反することへの抑止」または「検察(が勝手に考える)正義の実現」なのだが、それは表に出さず、あくまで別件逮捕によって、対象者を社会的地位から葬り去るのが目的で逮捕するのだ。
 逮捕とは、それだけで、逮捕者はまるで犯人扱いである。推定無罪という概念が定着していない日本にあっては、逮捕だけで、どれだけ有形無形の損害を逮捕者に与えることができるか、それを知っていての逮捕である。
 今の日本では、既に、検察による恐怖政治が行われている。その証拠に、TVや大手新聞などで、今回の小沢 vs 検察の一連の報道の中にあって、どれだけのマスコミが、検察批判をしているのだろうか。いや検察批判などしているマスコミはない。マスコミに携わる者とて、一人一人は、「覚悟を持たない」しがないサラリーマンなのだ。日々の仕事がスムーズに行えて、毎日飯が食べられればそれでいいのだ。マスコミが社会的に果たさなければならない使命など、関係ないのだ。


 検察による恐怖政治と検察に魂を売った大手マスコミによって、この国の国民に対する洗脳作業は完結する。


 今、国会議員は、与党野党に別れ、お互いを批判し合っているが、実はそこに日本の権力はない。また権力批判しても、リスクもない。本当に権力を持っているのは、検察である。日本の誇りある政治家であるならば、自分が別件逮捕されるかも知れないというリスクを背負ってでもなお、真の権力者たる検察批判を止めてはならない。
 私はこの1点だけをもってしても、鈴木宗男氏を尊敬する。
 氏は自分が逮捕された経験から、今なお検察批判を止めない真の政治家の一人である。

 脱官僚、公務員批判とは、検察批判を行い、組織改革を断行してこそ、真に意味を持つのだ。そのようなリスクを背負わない権力批判など、所詮は子どもの「ごっこ遊び」にしか過ぎないのである。


2010年02月13日