田中けんWeb事務所

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日刊田中けん

被災地だからこそ行くのだ

外相「空振り恐れては対応できない」チリ派遣見送り決定
2010年3月2日19時22分 asahi.comより


 政府は2日、大地震に見舞われたチリへの国際緊急援助隊医療チームの派遣を見合わせることを決めた。1日に医療チーム約20人の派遣を一度は決めたが、2日未明になって、チリ政府から「治安も悪化しており、受け入れ態勢がとれない」と派遣見合わせの要請があったためだ。
 外務省によると、医療チームは1日に調査のため3人が先行して出発し、本隊も2日夜に出発する予定だった。岡田克也外相は2日の記者会見で、チリのバチェレ大統領が各国に病院施設への支援などを要請したことを受け、「ある程度見切り(発車)で」先発隊を出したと説明した。
 1月のハイチ地震では、政府の対応が遅れたとの批判も出た。岡田氏は今回の対応について「結果的に空振りになるリスクを恐れては迅速な派遣はできない。災害だからよくあることで、それを見込みながらやっていくしかない」と説明した。
 また、岡田氏によると、震源近くのコンセプシオンにいた33人の在留邦人のうち32人の無事を確認した。
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 海外旅行をしていると、日本人の海外における行動パターンがよくわかる。まずトラブルは徹底的に避ける。かつて、オーストラリアのケアンズに行ったときの話だが、2001年に起こったアメリカ同時多発テロ事件、2002年のサーズ騒動、これによって、2001年から2003年にかけて、日本人観光客は激減したという。もちろん、他の国の観光客も減ることは減るのだが、日本人ほどは減らない。極端に減るということで、右向け右、左向け左の如く、一体となって動く日本人の民族性を垣間見ることができる。
 かつて私は、スマトラ島沖地震が、2004年12月26日に発生したとき、その1ヶ月後に現地へ向かった。
http://t-ken.jp/tanakaken_img/vol19.pdf
 このレポートにも書いたことだが、現地日本人による必至の訴えを再度ここにも掲載するので、是非読んで欲しい。
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2005年1月の日記 1月25日 不謹慎?
 プーケットの復興の様子をレポートしたり、プーケットにきてくださいとアピールしたりすると、それに対して、必ず「不謹慎だ」という人がいる。
 人がたくさん亡くなった場所に、旅行に楽しく行くことは不謹慎になるという。プーケットに行くこと事態が、非難ごうごうで行きたくてもいけない人もいるという。
 人が亡くなったことや、津波によって大打撃を受けたのは観光客だけでなく、島民全員が同じだと思う。死んだ人だけを悼むのではなく、生きて生活をしなくてはいけない人たちのことも考えて欲しい。観光の島に観光客がいなくなったら、それは、どう考えても、二次災害以外の何者でもない。
 遊びに行く人がいたり、自粛したりする人がいたり、それは個人の自由だと思うし、人を咎める権利なんてない。ハッキリ言えるのは、島民は観光客に旅行を自粛して欲しいなんて、誰も思ってないし、そういうことを言われたら、生きていけない人が出てきてしまう。人を哀れんでいる言葉が、逆に誰かを自殺に追いやる発言と、表皮一体になっているということ。こればかりは、ここに住んでいないと見えないことだと思います。
 商売のことを別にしても、今のプーケットは、観光に来ても充分に楽しむことができるし、ここで何か不便があるのではと躊躇している方があれば、私は「大丈夫ですよ!」と、自信を持って言うことができます。この年明け、旅行に来た方から、いろんな感想がBBSに書き込まれていますが、日本で思っているのと、現地では全く違うという言葉が一番多かった。そして、不便だった。楽しめなかった等の苦情などは、ほとんどありませんでした。
 本当の姿は、TVを見てるだけでは、わからないと思います。「不謹慎」の一言で片付けられるには、あまりにも苦しくて重たいものをみんなが背負っていることを、感じずにはいられない。来て、実際見て、それでもその人は、「不謹慎」って言えるのか?必死な復興の様子を見て、実際はもう何もないけれど、それでも頑張ろうと希望を持っている人を見ても、そう思うのか・・・?
 逆に「今だから、あえてプーケットに行く!」といってくださる方には、本当にありがとうって言いたいです。
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 読後の感想はどうだろうか。プーケットは典型的なリゾートであって、正に多くの人々が遊びに行く場所である。遊びに行く場所だからこそ、遊んでもらわなければ現地の人は困るのだ。
 当時は、震災直後、それでもビーチで楽しそうに戯れている白人観光客と、その後で多くの溺死した人々をシャベルカーで運んで作業している人が一緒に写っている写真が掲載され議論を呼んだ。もちろん、それだけを見れば、多くのボランティアが災害救助をしているというのに、ビーチで遊んでいるとは何事だということなのだろう。感情的にはわからないでもない。
 しかし、その批判が、観光客を現地から遠ざけ、同時に地元住民の生活の糧も奪ってしまうことになっていく。
 確かに多くのボランティアが作業している場所で遊ぶというのはどうかという批判もわからなくはないが、「遊ぶ目的の観光客」にとっては、遊ぶ場所がプーケットなのか、ハワイなのかは、たいした問題では無い。プーケットで遊んで批判されるのならば、ハワイへ行くだけのことである。では、ハワイで遊んでいれば免罪されるのか。人は遊んではいけないのだろうか。
 私はこんな時だからこそ、現地へ行くべきだと思う。まずは現地へ行って、少しでも地元にお金を落としてくる。その行為は、たとえそれが「遊び」だったとしても、地元住民の生活を支える意味では、喜ばれるのではなかろうか。

 発生1ヶ月後の被災地に行った経験を語れば、確かに避難民としてキャンプ生活を余儀なくされている人もそこにはいるが、普通にホテルは営業していたり、バーのような飲み屋も開いている。多分、震災前とは何ら変わらない日常的な営みもまた、そこでは行われていた。全ての被災地がそうだとは言わないが、文字通りの全滅なんてことはまずあり得ないのだ。本当に全滅ならば、その場の映像が遠く日本まで送られてくることもないだろうし、情報を発信する人がいないのだから、全滅という事実さえ、伝わることはないだろう。そう、どんなに酷い災害を受けた場所でも、生き残った人間がいる。人間がそこにいる以上、これまで生業としてきた仕事を、震災直後であってもなお淡々と営んでいる姿を、現地に行けば自然と目にすることができる。
 しかし、その日常的風景は、マスコミが期待する映像ではない。世界に発信する価値は無い。マスコミは一番酷いところしか映像にして世界各国に配信しない。だからこそ、現地の事情を知りもしない「心温かい」人たちが、安易に不謹慎だと言って、地元住民を困らせたりもする。
 情報発信者が「心温かい」人たちだけに、なおたちが悪い。

 もちろん震災発生後、いつの時点で現地へ行くのが良いのかは、慎重に判断すべきだ。余震や治安悪化による二次災害に、後からのこのこ出かけていった人間が巻き込まれないよう細心の注意も必要だ。それでも私は、前述したように、むしろこの様な困っているときだからこそ、現地へ行くという行為はありだと思っている。


 今回、日本の医療チーム約20人は、派遣を一度は決めつつも結局は派遣を見合わせたという。私は無駄足になってもいいから、行った方が良いと思う。遊びに行くのではない。仕事をしに行くのだ。その仕事も十分にできないかも知れない。でも、現地に行かなければわからない何かを、今ならば多く感じられるのもまた事実であろう。
 何か、遊んでくると言うと、日本人の場合、後ろめたい気分になる方も多いだろうが、遊びと言えども投資である。現地で困っている人に対して、何もできないけれども、少しだけお金を寄付する行為を、日本で行うのか、それとも現地まで飛んでいってするのか、私はその違いに過ぎないと考えている。
 医療チームでもいい、災害ジャーナリストでもいい、極端な話、観光客でもいい。働けるか働けないかは別にして、とにかく、まずは現地へ行って多くを見てくること。これは決して、無駄では無いと思う。


2010年03月04日