田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

t_ken

日刊田中けん

フィクションとしてのエログロ文化を規制するな

アニメ・漫画のキャラクターも「非実在青少年」として「不健全」性の基準に含める東京都の青少年育成条例改正案の審議が近づく。ネット上では反対の立場から行動が起きている。漫画の現場からは「日本の表現が窮屈になる」といった懸念が出ている。
2010年03月09日 21時57分  IT media Newsより
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/09/news103.html
-------------------------------
 今回の都条例の改正では、アニメや漫画などに登場する18歳未満のキャラクターも「非実在青少年」と定義し、内容によって不健全図書指定も可能になっているなど、従来から踏み込んだ内容になっている。
 今回の改正におけるポイントは、「青少年を性の対象にする」表現の抑止にある。更にその主旨から、創作作品の表現も条例の対象に含めたのが大きな点だ。改正案は、漫画やアニメなどの登場人物のうち、服装や所持品、学年、背景、音声などから「18歳未満として表現されていると認識されるもの」を「非実在青少年」という新語で定義する。


 皆さんは、「赤ずきん」という物語をご存じだろうか。
 ほとんどの人は「赤ずきんちゃん」というタイトルで物語を知っているはずだ。だが、皆が知っているグリム童話の「赤ずきん」には原作がある。グリム童話の発表は、1812年である。日本で初めてグリム童話が紹介されたのは、1924年である。
 ドリム童話とは、元々ドイツに伝わる民謡や童話をもとにして作られた「二次創作物」である。つまりオリジナルの民謡や童話ではない。
 グリム童話よりも昔、1697年にはフランスで出版されたペロー童話集の中にも「赤ずきん」がある。ペロー童話集は、民間伝承の詩を形にまとめ、教訓を加えている。当時の風俗を反映させるなど子どもにも親しみやすく書かれており、子どもを意識して書かれた初めての児童文学であるとも言われている。
 ただし、偉大なる作品集であるこの物語とて、民話から作品にする段階で、改変がされている。そう、この童話集と言えども、正確には「二次創作物」なのだ。


 「赤ずきん」において、改変された箇所は以下の通り。
1.赤い帽子をかぶせた。
2.元の民話では、赤ずきんが騙されておばあさんの血と肉をワインと干し肉として食べるシーンがあるが、そのシーンを削除。
3.狼が近道を行ったたため先回りされたとあるが、元の民話では赤ずきんに「針の道」と「ピン(留め針)の道」などの二つの道を選ばせるシーンがある。
4.赤ずきんが着ている服を一枚一枚脱いでは、暖炉に放り込むというシーンを削除。
5.元の話にはない「教訓」を加えた。
(ウィキペディア「赤ずきん」等を参考)


 赤ずきんの原型となる話は、どう考えても18歳未満の女性を対象にした、エロとグロで満ちあふれている。現在の東京都の職員が判断すれば「不健全」な作品と言わざるを得ない。何が健全で、何が不健全かという話を考える上で、童話の存在はとても大きい。

 学術的な厳密性を欠く例だが、毒と薬は対極の存在ではない。物質によっては、実は同じ成分でありながら、「適量を適した使い方で使用したのが薬」であり、「過剰に間違った使い方で使用したのが毒」であることもある。つまり、毒を排除してしまえば、毒から作られる、いや毒そのものである薬もまた誕生しないのだ。


 音楽、美術、小説、映画、ありとあらゆる創作物の中で、日本のアニメや漫画は、世界最高水準の創作物であると私は断言できる。その証拠に、日本のアニメは世界中の子どもや大人たちにも愛されている。ドラえもん、ポケモン、キャプテン翼、ワンピース、ドラゴンボールなどなど。海を渡って、世界の人々に愛されている日本のアニメは数多い。そこから派生的に支持されるアニメソングは、海外でも多くの人たちから歌われている。聴かれているのだ。
 ちなみに著作権により外貨を獲得した日本の歌ベスト10は全てアニソンである。これが日本のアニソンが海外で支持を受けている証拠である。
http://www.jasrac.or.jp/profile/prize/2009_internl.html
1. 「明日のナージャ」BGM
2. だぁ!だぁ!だぁ!BGM
3. 「ドラえもん」BGM
4. ポケットモンスターBGM
5. 新ルパン三世BGM 
6. 爆走兄弟レッツ&ゴー!!BGM 
7. ぶぶチャチャBGM 
8. アタッカーYOU! BGM 
9. 「おジャ魔女どれみ」BGM 
10. ドラゴンボールZ BGM(TV)


 このように、日本のアニメや漫画、それに付随するアニソンなどは、仮にその作品の素晴らしさを全く理解できない人たちであったとしても、まぎれもなく「外貨獲得のための優れた輸出産業」である。そうは理解できないだろうか。たとえエロであろうとも、表現上の規制を強化することは、自国の損益につながることだから避けるべきだと、割り切って考えられないだろうか。
 そもそも、「健全」なアニメや漫画やアニソンも、それらが単独で存在するなどと言うことはまずない。この様な産業を支える底辺には、まさに不健全と定義づけられてしまう「エロ」と「グロ」で満ちあふれたたくさんの作品があり、その影響も受けながら、「健全」な作品は二次創作、三次創作されるのである。
 それはまさに前述した「エロ」と「グロ」であふれた民話から「健全」な童話が生まれたようなものだ。一次創作である「エロ」と「グロ」を排してしまって、果たして優れた二次創作、三次創作など生まれることができるのだろうか。

 なぜ一次創作で「エロ」と「グロ」なのかと言えば、どんなに不健全と言われようとも、「エロ」と「グロ」には、固定ファンが必ずつく。低予算で作品を発表し、必ずそれを買ってくれるファンがいる。しかも、内容が内容だけに、目を背けたくなるような人がいると同時に、そのような作品を好んでいる人もいる。つまり目立つのだ。
 どんな作品であっても、
「最低限、食べていけるだけの商売になる」
「最低限の生活保障をしてくれる」
 作家の卵にとっては、この点が非常に重要である。つまり「エロ」と「グロ」を愛する日本人が、今はまだそれほど食べられない未来の作家たちを、底辺の部分で育てている。むしろ、健全にしか目がいかない人たちは、作家たちが汗と涙で作り出した良作の「果実泥棒」でしかなく、土を耕したり、肥料をまいたり、雑草を取ったりして、長年作家を支えてきた「エロ」と「グロ」を愛する消費者の存在など、これっぽっちもわかっていない。


 これを映画で考えるとわかりやすい。
周防正行監督作品「それでもボクはやってない」2007年
黒沢清監督作品「トウキョウソナタ」2008年
 では、それぞれの監督が、若かりし頃、どんな映画を作っていたのか。
黒沢清監督作品「神田川淫乱戦争」1983年
周防正行監督作品「変態家族 兄貴の嫁さん」1984年
 詳しい説明をするまでもなく、ポルノ映画である。

 漫画家永井豪氏は語る。
「ハレンチ学園」があったからこそ、その後に「マジンガーZ」や「デビルマン」が誕生したのであって、「ハレンチ学園」がなければ、「マジンガーZ」も「デビルマン」も誕生しなかったと。

 つまり知られていないだけで、アニメや漫画においても、エログロ作品が種となって、将来の一般人さえも認める偉大なる作品を作り出すきっかけを作家に及ぼしている。表層部分だけを見て、健全を大義名分に「エロ」と「グロ」を排除してしまえば、次世代の作家は育たない。今の作家たちにとっても、大いなる創作意欲は、激減してしまうだろう。
 私に言わせれば、健全にしか目がいかない「果実泥棒」たちには、芸術のセンスが全く無い。それどころがむしろ彼らの存在こそが、社会悪でさえある。
 現在、素晴らしい芸術だと言われている作品たちが、その発表時において、どれだけ世間を騒がし、中傷され、スキャンダラスだったのか。そのような歴史を乗り越えて現代の芸術が成り立っているのか、これまでの人類史を少しは学ぶといい。
http://www.t-ken.jp/diary/20091112


私は東京都の青少年育成条例改正案に反対する。


2010年03月17日