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日刊田中けん

儲からないスポーツと儲かるスポーツ

白鵬、全勝で2場所ぶり13度目優勝 大相撲春場所
2010年3月28日17時50分 asahi.comより


 大相撲春場所は28日、大阪府立体育会館で千秋楽を迎え、東横綱の白鵬(宮城野部屋)が15戦全勝で2場所ぶり13度目の優勝を決めた。全勝優勝は自身5度目。
 白鵬は結びで大関日馬富士を破った。大関昇進を確実にした1敗の関脇把瑠都も大関琴光喜に勝った。把瑠都は敢闘賞と技能賞を受賞した。
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 昨日の27日は、 K-1 WORLD MAXの日本代表決定トーナメントをテレビ観戦していた。結果は、コスプレ戦士の異名を持つ、長島☆自演乙☆雄一郎(25=魁塾)が、初優勝を飾った。アニメに興味が無い人には、奇異に見えるコスプレ姿で入場してくる人物であるが、優勝によって、実力を証明した形になった。なんでも全試合KOで優勝したのは、長島選手が、K-1史上初だそうだ。激しい撃ち合いは、見ている者を自然と感動させるに充分な内容だった。ちなみに優勝賞金は500万円である。
 一方、大相撲の優勝賞金は1,000万円である。関取は、十両でも月給100万円以上もらい、大関で230万円、横綱だと280万円の月給をもらうことになる。


 同じ格闘技ではあるが、高額賞金が望める格闘技と薄給に甘んじている格闘技が、厳然としてある。どの分野でも同じ事が言えるのだが、高額報酬が保証されている職業に人材が集まり、報酬が少ない職業には人材が集まらない。
 相撲が不思議なのは、これほど高額報酬が保証されているにも関わらず、競技者人口が極端に少ないという点だ。日本においても、相撲の競技者は、他のスポーツに比べて数えるほどしかいないのだろう。しかも、封建的とも言えるような独特の文化が業界内にはあって、その文化になじめない現代人にとっては、自分が行うスポーツとして相撲を楽しめないのかもしれない。
 そのような厳しい条件はあるにせよ、私が知る限りでは、世界で最も稼げる格闘技が相撲である。高額報酬という魅力が失われない限り、どんなに日本人力士が減ったとしても、世界中から力自慢が力士になるべく海を渡って来日してくることだろう。強い日本人力士が無くなることに一抹の寂しさは感じるだろうが、日本人が相撲を嫌いにならない限り、相撲文化は、今後とも日本文化の支柱として続いていくのである。


 日本とは何かと考えると、そこには日本人と日本文化という二つの側面があることに気がつく。イチローがアメリカで野球によって、様々な記録を打ち立てる行為は日本人にとっては誇らしいことである。それと同様に、外国人力士が、日本の相撲でその力と技を競って、相撲文化を継承してくれることもまた、極めて日本的なことだ。
 スポーツにおける国際化は、このように人と文化の両方が混じり合う中で、発展、継承されていくのだろうと思う。それと同時に、そのスポーツがビジネスになることも重要な要素である。例外はあるだろうが、ビジネスにならないスポーツは、私の認識では発展が難しいと思う。


 さて、そのビジネスにならないスポーツの代表としてプロレスがある。なぜプロレスがビジネスになっていないか。そう。それはあまりにも政界進出をするプロレスラーが多いことがそれを証明している。ある程度の知名度があっても、知名度ほど稼げない職業がプロレスなのだ。これまでも何人のプロレスラーが、知名度を生かして政界進出していることか。
 参院選挙を中心に、これからも有名人がどんどん政界進出を狙ってくる。つまりスポーツ選手が引退した後も、しっかりと食べられるだけの保証や転職が容易な業界においては、スポーツ選手が政界に進出してくるケースは少ない。ちなみに角界から政界に進出したのは、私が知る限りでは、旭道山ただ一人である。角界には引退後も様々な再就職の道があるのに対して、プロレスにはそれがない。力士の選手生命が短くてやっていけるのは、そのような引退後の保証が充実しているからで、プロレスラーの選手生命が比較的長いのは、引退しても食べていける保証がないからとも言えなく無い。

 プロレスに限らず、オリンピックのメダリストのように、どんなに華やかで一世を風靡した人物であっても、食べられない有名なスポーツ選手は、これからもドンドン政界に進出してくることだろう。有名人が立候補すれば、それに伴って、有権者の興味関心が高くなり、投票率が上がるかも知れない。今まで政治に興味関心を持たなかった層も、興味を持つようになるかも知れない。
 それを良しと考えるのか。それとも食べられないという理由から、本来の政治的動機とは別の次元で政界進出するスポーツ選手たちの存在を国民としては、不幸な現象として嘆くのか、それは人それぞれだろう。
 ただし、有名人が立候補することに集票効果があると公党が認めれば、それを狙って、多くの政党は有名人を公認候補として手厚く迎えることだろう。こうなると、選挙とは、知名度を最優先に競われる、人気投票と本質的には何ら変わらないようにも見える。善し悪しの問題では無く、それこそが選挙の真の姿なのかも知れない。
 決して否定的な意味合いだけでなく、大幅な選挙制度改革でも無い限り、この傾向は、今後も続いていくことだろう。


2010年03月30日