田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

t_ken

日刊田中けん

舛添要一氏に対する評価

 なんでも共同通信世論調査では、今、首相に最もふさわしい政治家は誰かとの質問に対して、23.7%の人が舛添要一氏を選んでいる。これは現職である鳩山由紀夫首相の8.3%に対して、実に4倍近い得票率である。
 さて、ではこの知識人タレントであり、かつ参議院議員でもある舛添要一氏の素顔を文献より紹介する。
-------------------------------
 プレジデント 2010.4.12号 P.23
 文=鹿吉大基
 今、彼に求められるものは、タレントからリーダーへの脱皮である。欲しいのは総裁のイスか、それとも新党か、そこで実現したい理念は何なのか。ところが当人は「最終目標は決めていない。むしろ決めないほうがいい」とかわすばかり。手の内を見せないというよりも、決断できていないのが実態である。
 舛添氏はときに臆病な一面も見せる。去年、1人の秘書が事務所を去った。歯科医師だったこの秘書は、今年の参院選に出馬すべく動き始めていた。しかし、歯科医師会の推薦を巡って他候補と熾烈な対立となり、「舛添の秘書にスキャンダルあり」という怪情報が飛ぶ。舛添氏は真偽も確かめず「とにかく辞めてくれ」と追放してしまった。
 政治に誹謗中傷はつきものであり、一喜一憂しない胆力が必要だ。騒ぐだけの「人寄せパンダ」か、信念ある「リーダー」かの岐路に立たされている。
-------------------------------
 舛添氏にはこの様なエピソードもある。
 それは随分昔に、テレビ朝日で放送されている「ビートたけしのTVタックル」でのこと。
 議論が、介護問題に及んだとき、社民党の議員が、それまで介護問題に付いて、熱心に取り組んできたということを紹介してきた。その時、舛添氏が口を挟み、「あなたたちには能力が無いから、介護問題に関する法案を実現できないのだ。それに比べて、私には能力があるから、介護法案を実現することができた」このように発言し、これまで介護問題に取り組んできた議員たちの活動を切って捨てた。
 この議論を聞いていて、私は、「あー舛添氏は、先人に対する畏敬や尊敬の念が無い人なのだ」と思ってがっかりしたことを覚えている。


 物事というのは、先人たちが何度も何度もチャレンジして、無駄死にと思えるようないくつもの死体の山の上に成り立っていることが多い。
 たった3年間しか続かなかった松下村塾に関わった人間たちを思い浮かべるといい。
 1859年(安政6年)10月27日 安政の大獄により、吉田松陰 没。享年30。
 1864年(元治元年)6月5日 池田屋事件により、吉田稔麿(よしだとしまろ) 没。享年24。
 1864年(元治元年)7月19日 蛤御門の変により、久坂玄瑞 没。享年25。
 1864年(元治元年)7月19日 蛤御門の変により、入江九一 没。享年28。
 1867年(慶応3年)4月14日 肺結核のため、高杉晋作 没。享年27。
 1877年(明治10年)5月26日 心血管障害のため、木戸孝允 没。享年44。
 1909年(明治42年)10月26日 暗殺により、伊藤博文 没。享年68。
 1922年(大正11年)2月1日 気管支カタルにより、山県有朋 没。享年84。
(正確に言うと、木戸孝允は塾生ではない。ただし吉田松陰からは兵学を学び、師弟関係でもあり、親友関係にもなる)


 明治維新の果実とは、伊藤博文や山県有朋の時代になって、初めて得られたのだ。その間、どれだけ将来を期待された優秀な人材が、若くして死んでいることか。
 特に吉田稔麿の場合、池田屋事件の時、その場を脱出し、仲間を求め長州藩邸に飛び込んでいる。稔麿は危機を脱して安全な藩邸に戻ってきたのだから、そのまま潜伏していれば良いものを、手に槍を取り、周囲が止めるのも聞かず、修羅場と化した池田屋に舞い戻って行った。そこで、近藤勇や沖田総司に斬られたなどの諸説があって死んでいる。結果だけ見れば、全くの無駄死にと言っていい。
 吉田稔麿とは、久坂玄瑞や高杉晋作と並び、松陰門下の三秀と言われた人物だ。後年、松下村塾の同門生で後の明治の元勲にもなった品川弥二郎からは、「稔麿が生きていたら総理大臣になっただろう」と言われた人物である。
 なぜ稔麿は、池田屋に舞い戻ってしまったのか。彼の仲間を思いやる情念の強さからか、次々に殺されていく同志達をそのまま見捨てておくには忍びなく思ったからか、どちらにしろ、そのような他人を思いやる「人徳」が、自らの命を散らせてしまった。
 作家の司馬遼太郎は、仲間のことを思い、自らの命をなげうっても、若者的な直情で動いてしまった吉田稔麿が好きだという。


 さて、このような人たちと対比して、現代の政治家を評価してみる。すると、実を結ぶことがなかった先人達の行いを軽んじ、保身のために秘書を辞めさせてしまうなどする舛添要一という人物を、私は次世代のリーダーとして認めることができない。

 普段、どんなに立派なことを発言していても、政治家や運動家は最後にその行動をもって評価される。


2010年04月05日