田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

議会人にこそ、図書が必要!

 9月16日(木)に行われた子育て・教育力向上特別委員会でのこと。
 委員会は違うのだが、文教委員会にて、鶴岡市朝暘第一小学校を視察してきた旨の報告があった。致道図書館と呼ばれる学校図書館の話が紹介された。
http://www.city.tsuruoka.lg.jp/070201/sub/tosho-1niti.html


 行政も議員も、子どもたちに図書は必要だという考え方では一致している。そこに誰も異論はない。しかし、子どもたちにとって、本が必要である年齢について、色々と意見があった。
 ある委員は、13歳までに子どもたちが読書好きになる必要性があると説いた。また別の委員は、小学生では既に遅く、幼児教育における図書、読み聞かせの必要性を説いた。
 私は何も、そのような個々の委員による意見を否定するつもりは全く無い。しかし、何を根拠に、そのような13歳までとか、幼児教育における図書が必要だとか、おっしゃるのかが、わからなかった。
 個々の委員に、自説の根拠を聞いてもよかったのだが、委員会という場所は、委員同士による討論を避ける傾向があるので、代替として執行部に対して、「何か学術的な根拠として、何歳児までに図書を与えた方が良いなどと言う説があるのか」と聞いてみた。


 執行部の回答はこうだった。つまり子どもの発達段階とは、それぞれであり、一概に何歳までに図書を与えると言いという発想には立たないということであって、学術的な根拠なども知らないと言うことなのだ。


 つまり子どもたちに図書が必要だとか、子どもたちに「読書をしろ」を言っている大人の側が、アカデミックな研究者による議論を踏まえた上での根拠ある主張をしているわけではないのだ。それは委員である議員も、行政人であっても同じである。


 委員会での発言が、常に学術的な根拠に基づいて発言されなければならないなどと言うつもりはない。自由闊達に議論してもらっていい。しかし、何かそれぞれの認識の違いが表面化したときなど、そのことについて専門家はどういっているのかということを、調べたりすることは必要なことでは無いのだろうか。更に、同じ専門家であったとしても、立場が違うと学説が違ってくるように、一人の専門家の主張を鵜呑みにせず、価値観の違った複数人の専門家の意見を付き合わせて考えてみる必要性も、この様な議論をするのであれば、私は必要であろうと思う。


 なんてことはない。議会人にこそ、議論の前提や根拠となる図書・文献が必要なのではないだろうかとの印象を私は強く持ったのであった。ここが学術会議ではないにせよ、少しは学術的な研究に基づいた議論を、議会の各委員会の場でもしたいものだ。


2010年09月19日