田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
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日刊田中けん

袴田事件について、熊本典道元裁判官の話を聞く

 本日、2010/11/06は、大阪にて、袴田事件(はかまだじけん)で一審の死刑判決を書いた、熊本典道(くまもとのりみち)元裁判官の話を聞きに行った。
 熊本氏は1966年に静岡市清水市で起きた一家四人殺害事件、通称、袴田事件の被告である袴田巌さんに対して、死刑判決を言い渡した裁判官である。
 熊本氏は、自分が担当した当時から、袴田さんが犯人ではないのではないかと考えていた。なぜならば、証拠とされたいくつもの物証が、証拠としてはつじつまがあわないことだらけだったからだ。
 たとえば、自白調書は暴力によって強制されたものだった。


 ウィキペディアからの転載では、以下のように書かれている。


袴田への取調べは過酷をきわめ、炎天下で平均12時間、最長17時間にも及んだ。さらに取調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しにさせる等した。
 睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、その泥酔者にわざと大声を上げさせる等して一切の安眠もさせなかった。そして勾留期限がせまってくると取調べはさらに過酷をきわめ、朝、昼、深夜問わず、2、3人がかりで棍棒で殴る蹴るの取調べになっていき、袴田は勾留期限3日前に自供した。取調担当の刑事達も当初は3、4人だったのが後に10人近くになっている。
 これらの違法行為については次々と冤罪を作り上げた紅林麻雄警部人脈の関与があったとされている。
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 熊本氏は、当時、自白調書45通の内、44通を強制的、威圧的な調べによって作成されたという理由により、任意性を否定して証拠から排除した。
 他にも、凶器とされたくり小刀で、犯行は可能だったのか。逃走ルートとされた裏木戸からは、本当に逃走できたのか。また1年後に発見されたとする犯行時の衣服が、袴田さんの体格には合わず、ズボンもはけないほど小さなサイズであったのだが、これは本当に袴田さんがはいていたズボンだったのか。
 などなど。袴田さんが犯人だとすると、辻褄が合わない事実が、いくつも判明してきた。


 熊本氏は無罪を確信していたが、合議制により、他の二人の裁判官は、袴田さんを有罪と判断した。人を四人も殺している事件である。有罪とは、被告人の死刑を意味していた。この見解の相違については、熊本氏は、先輩裁判官たちと、けんかになったそうである。
「あなたはそれでも裁判官ですか」
 このような失礼な言い方までしたそうだ。


 ではなぜ、先輩裁判官たちは、袴田さんを有罪だと考えたのか。
 まず、調書の段階で、自供している。本当にやっていない人間ならば、どんな状態であったとしても、否認するはずなのに、自供をしていると言うことは、やはり袴田さんが犯人であるという証拠である。
 あともう一つは、警察はあれだけ捜査をがんばってやっている。警察があれだけがんばって捜査している事件を無罪にはできない。
 この二つの理由が、先輩裁判官が袴田さんを有罪だと考える根拠になっていた。


 では熊本氏はなぜ袴田さんが犯人ではないと確信したのか。
 まず自供については、その取調が拷問であり、拷問によって自白させられたとしても、それは証拠として採用はできないということ。
 裁判所で袴田さんが自分がやったと認めたことは一度もない。
袴田さんが法廷で、「私はやっていません」と発言している。熊本氏は被告人の目を見て質問をするのだが、このとき、熊本氏は袴田さんが犯人ではないと考えた。


 実は、他の先輩裁判官も、法廷で袴田さんの証言を聞いたときに、これはやっていないなと言う印象をもったらしい。しかし、警察が袴田さんを犯人にしようとする過酷な取調の実態を知れば、この事件を無罪にはできないと思うようになったらしいのだ。
 つまり袴田事件とは、最初から有罪ありきの裁判であった。


 判決を決めるに当たって、二人の先輩裁判官は有罪を主張。熊本氏は無罪を主張した。しかし、多数決により、袴田さんの有罪、つまり死刑は確定してしまった。更に悲劇的なのは、その死刑判決は、無罪を主張していた熊本氏が書くことになったと言うことだった。
 なぜならば、先輩裁判官は、経験者であるが故に、裁判官が一人の単独裁判をいくつも抱えていて、それの判決を書かなければならなかった。当時まだ若輩者の熊本氏は、若輩者であるが故に、単独での裁判を抱えることができなかった。つまり合議制の裁判しか、参加していなかったことになる。このような裁判所内の都合により、合議制というとても重要な裁判ほど、若輩者の裁判官が判決文を書くという一見矛盾する現象が、裁判所内で起きていた。
 熊本氏も、一番年齢が若く、経験が浅かったにも関わらず、袴田事件の主任裁判官に任じられ、それもあって、本来ならば無罪と書きたかった本心を押さえて、有罪=死刑の判決文を書いたという。


 この罪の意識が、のちのち現在まで、熊本氏を苦しめた。この事件があってから、翌年、裁判官がばからしくなってしまい、裁判官を辞めてしまった。その後、自殺しようと思い、ノルウェーまで行って、身投げしようとしたりもした。罪の意識から、精神状態もおかしくなり、夫婦生活もうまくいかず、2回の離婚も経験された。


 2007年に突如袴田事件の支援者に合議の秘密を破り「事件は無罪であるとの確証を得ていたが裁判長の反対で死刑判決を書かざるを得なかった」という手紙を書きその後改めて記者会見を開き同様の趣旨の発言をした。


 良心による元裁判官の告白ではあったが、当時の読売新聞3月10日付朝刊には、社会部の小林篤子記者が、袴田事件における熊本元裁判官の発言を問題視する記事を書いている。
骨子は以下の通りである。
①裁判官が評議で自由な意見を出すのを保障すること、裁判官の意見の不一致が明らかになれば判決への信頼が損なわれるのでそれを避ける必要があることから、裁判所法が評議の秘密保持を定めるが、熊本元裁判官の発言は裁判所法の規定に反する。
②袴田事件が現在も再審請求の特別抗告中であるが、熊本元裁判官の発言により評議の秘密が新証拠に使われかねない。
③裁判員制度でも評議の秘密保持が重要であるのに、模範となるべきプロが禁を犯しては示しがつかない。
④熊本元裁判官の心痛は理解できないではないが、評議に参加した他の2人の裁判官が(死亡により)反論できない中で、2人が有罪と判断した理由などを推測混じりに語るのはやはり疑問が残る。


 熊本典道氏のことは、映画にもなった。
『BOX 袴田事件 命とは』(高橋伴明監督・2010年)


 私もまだ見ていない映画だが、これほどの不条理を体験してしまえば、良心が強ければ強いほど、純粋であれば純粋であるほど、人間は罪の意識の重さに耐えられず、熊本氏のように壊れていくのだろうと、つくづく思い知らされる。


2010年11月07日