田中けんWeb事務所

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日刊田中けん

ウルトラマンと正義の話

 今週の11/19付「週刊ポスト」は買いだ。
 同雑誌のP.59に「ウルトラマンと正義の話をしよう」と題する記事が載っていた。このように実写にしろ、アニメにしろ、一見して子どもが見るような番組から社会を語る試みが、私は大好きである。


 参考図書として、以下、2冊紹介する。


遠藤誉「中国動漫新人類」日経BP社
 この本は、中国の若者が、反日教育を受けていながらも、小さな時から日本のアニメを見ている実態を明らかにしている。よって、日本に対する中国人の若者の感情とは、憎しみと憧れが混ざり合った状態なのだそうだ。


斎藤美奈子「紅一点論」筑摩書房
 この本は、日本社会(を構成する狭い範囲での、その世界)が大多数の男性とたった一人の女性とで成り立っていると主張する。その根拠に、日本の子ども番組における男女数をあげている。男:女=X:1。これぞ紅一点論の主張である。
「ドラえもん」における静香ちゃん。
「ウルトラセブン」におけるアンヌ隊員。
「宇宙戦艦ヤマト」における森雪。
「秘密戦隊ゴレンジャー」におけるモモレンジャー。
 子どもたちは、知らず知らずのうちに、このような世界観から、仲間には一人だけ女性がいればいいと思わされてきた。
(この分析は、過去の作品に対する分析であって、筆者も書いているが、現代の作品には当てはまらない。今現在では、全く逆に男性が一人だけ存在する物語が多々ある。つまりプレーヤーである男性が自己投影できるだろう、分身としての男性一人だけが登場する物語である。その男性一人に対して、無数の女性がチヤホヤすると言うハーレム型の「黒一点」的環境がアニメでもゲームでも主流になっている。ただしこの現象は、現実社会を反映しての結果ではなく、普段あまり女性とは交流がない男性の夢や願望を投影した世界観の設定だと考えたほうがいい。)
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 さて、週刊ポストの記事である。
 北海道苫小牧市の公立中学校にて、ウルトラマンを題材にして授業を行っている先生がいるという。先生の名前は、神谷和宏氏という。
 ウルトラマンを通じて、神谷先生は子どもたちに、「正義とは何か、悪とは何か」を考えさせてきたのだった。年間2~3回ペースで授業を行っているという。
 神谷先生は言う。
「正義という言葉には気をつけろ。世の中には、正義という名の悪もある。ウルトラマンも単純な勧善懲悪の物語ではない」
 ウルトラマンの物語の中には、宇宙人が、その姿形が違うからこそ、地球人からいじめられる物語もあったりする。そうなると子どもたちは、「人間の方が悪いのではないか」という感想をもったりもする。
 例えば怪獣ジャミラは、人間の宇宙飛行士だったが国に見捨てられ、宇宙をさまよった末、変わり果てた怪獣になってしまった。ジャミラはその恨みを晴らすべく国際会議場を襲う。ウルトラマンはジャミラが社会から見放された人間であることを知りつつ、“人間”のためにジャミラを倒す。
 この物語を前にして、神谷先生は「正義とは何か」を子どもたちに問う。
 これに対して、子どもたちは「ジャミラが可哀想だ」との感想を持ったという。つまり、ウルトラマンは“正義の味方”ではなく、“人間の味方”に過ぎないことを子どもたちは悟ったという。


 私はここまでの文章を読んで“ハッ!”とした。
 中国には正義が通用しない。尖閣ビデオでも証明されたとおり、平気でウソをつくような国である。ビデオが公開されても、「それでも日本が悪い」と言って、自分たちの非を認めようとはしない。
 なぜ中国には正義が通用しないのか。それは、中国は“正義の味方”ではなく、常に“中国の味方”にしか過ぎないからである。だからこそ、見え見えのウソも平気でつく、謝らない国家なのだ。


 話は脱線するが、正義とは何か。
 自分と相手の立場が入れ替わっても、何が正しくて、何が悪いか、その価値観が変わらないことが正義であると私は信じる。
 自分がAで、相手がBだとしよう。BがAを殴った。AはBが悪いと批判した。それならば、同様に、AがBを殴った。その場合、Aは自分が行った「殴る」という行為は悪いことだと認識しなければならない。それができて、Aには正義が宿ると言える。
 このように、たとえ自分が不利な立場に置かれたとしても、変わらない価値観を貫けることを正義という。


 もう一つ具体例を。
 民主党は野党時代、安倍総理や福田総理を相手に、「総選挙を行わないで誕生した総理大臣、および内閣には正当性はない。新総理が誕生したら、すぐさま衆議院を解散して国民に信を問え」と言った。
 しかし、今、与党になった民主党は、鳩山総理(当時)が辞職して新しく誕生した菅内閣について、「総選挙を行わないで誕生した総理大臣なのだから、すぐに衆議院を解散して総選挙を行う」とは言っていない。誰が総理大臣になろうとも、何とかこのまま任期満了近くまで、民主党政権を保たせようとしている。
 つまり、野党から与党に立場が変わった途端に、野党時代言っていたことを、やらない与党になってしまった。これでは、民主党の主張を正義とは言えない。


 このように、中国とは今の民主党のように、自分の立場が変わると、それに合わせて主張を自由自在に変えてくる、常に自分本位な正当性を主張する“中国の味方”に過ぎない国家なのである。このように、正義の概念を持たない国だからこそ、一挙手一投足が信用できないのだ。
 正義とは、自分が不利であるにもかかわらず、その不利を知りつつ、物事の道理を甘んじて受け入れることができる国家や人間にこそ宿る“徳”である。その“徳”が中国には丸でない。その中国が一番関心を持つのは、“徳”ではなく、“得”なのだから、何とも皮肉である。


 中国の言う正義とは、全世界を敵に回しても、中国国内の中だけに存在する“正義”であることが、今回の一連の尖閣問題ではからずも証明されてしまった。
 さて、こんな国家をまともに相手する“正義”が日本のどこにあるというのだろうか。中国に通用するのは正義ではなく、圧倒的に相手をねじ伏せるだけの軍事力である。つまり中国は、獣の類と対して変わらない存在だということなのだ。


2010年11月11日