田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

日本社会はバイク差別をやめろ

たこフェリー運行休止で、バイクが淡路島に孤立
2010年11月15日(月) 20時11分 response.jp より


 たこフェリーの愛称で親しまれてきた「明石淡路フェリー」(大麻一秀社長)の明石・岩屋航路が15日で運航休止した。この影響で明石海峡大橋を通行できない125cc以下のバイクが孤立。移動できないままとなった。


同社は休止の理由を「国の施策である高速道路料金見直しに伴うもの」として、海を渡ることができずにユーザーや二輪車販売関係者などから不満が噴出している。


同航路は年間約2万台のオートバイを運んでいた。明石淡路フェリーが運休しても歩行者や自転車は、高速船「淡路ジェノバライン」に乗り換えることが可能だ。また、四輪車は明石海峡大橋を通行して、明石‐淡路島間を往復できる。


しかし、125cc以下のオートバイは自動車専用道を通行することもできず、オートバイを乗せる船もない。陸路も海路も行く手をふさがれた形だ。


淡路市に住むバイクユーザーの一人は「ガソリン税は四輪車も二輪車も同じ。何のための税金を負担してきたのか」と、憤っている。


「明石淡路フェリー」は、明石市と淡路島島内の自治体が出資する第三セクター方式の民間会社だが、「07年比較で料金収入は約55パーセント、航送車両台数は約60パーセント減少し、運行会社の経営努力で補える範囲を大幅に超えた深刻なもの」(国土交通省などへの要望書)と訴えてきた。今年10月に営業継続を断念し、今日で運行を休止した。


今後は新たな出資者を探して再建の道を探っていくものの、行く手には大幅な人員整理と、現状のフェリーを売却して需要量に応じた機材交代を促進させなければならないなど課題が山積する。
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 ドラマや映画などでバイク出てくると、それは間違い無く転倒フラグとなる。何か重要な場面でバイクが転倒し、主人公や主人公に関係する誰かが大けがをしたり死んだりすることが、間違い無くおこる。つまりバイクとは、「いつ転倒するかわからない危険な乗り物」という差別意識を、日本人はドラマなどを通じて徹底的に植え込まれてきた。そうして、バイクを拒否し、無視してきた結果が、今回の様な「バイクが移動できなくなる」という事態を招くことになった。
 つまり意識的にしろ、無意識にしろ、バイクを社会から締め出そうとか、そもそもバイクのことなど眼中に入れていない日本人が、この世の中のルールを作っているのだ。
 都内で駐車違反を徹底的に取り締まったときも、駐車違反の対象にはするくせに、駐車場は設置していないという問題も発生した。それによって、多くのライダーたちが、泣かされてきた。


 つまり、日本は世界一のバイクメーカーを有し、かつ世界的に見ても、国際市場におけるバイクの占有率がとても高い国でありながら、バイクには全く理解を示さない、バイク差別国なのである。
 少なくない外国人が日本に対して、ホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキの四大バイクメーカーを想像するほど、知名度が高いのに、日本国内では、日本人の意識の中から、バイクが否定的な存在でしか理解されていない。


 その証拠として、高速道路料金に関しても普通車の2割引でしかない。軽自動車でさえ1トン前後の重量があるというのに、その軽自動車と同じ料金区分である。これとて、大昔は乗用車と全く同じ料金だったのだ。それを私たちが「二輪車高速道路料金半額返還訴訟」という裁判闘争を通じて、何とか勝ち取った成果である。高速料金のあり方1つ取ってみても、バイクが差別されていると言わずして何を差別と言うのだろうか。


 かつて私は、マンションの駐車場設置義務規定の中にバイクが位置づけられていないことを議会で問題とした。マンションの戸数に応じて、乗用車ならばその1/3を、自転車ならば全戸分を、駐車スペースして付設施設として作らなければならないという規定があった。
 しかし、マンション利用者でバイクを利用している人は、マンション管理者によっては、バイクの駐輪を拒否されるケースが発生したのだ。なぜならば、以前のマンションにはバイクの駐輪場の設置義務がなかったからだ。生活上、非常に不便であるという相談が私宛にあり、議会で取り上げることになった。
「マンション建設にあたって、バイクの駐車場スペース設置を義務づけたらどうか」と私は質問した。もちろん、その場では、「ハイすぐやります」などという良い返答は無かったのだが、しばらくすると、ちゃっかり規定改正されていて、バイクの駐輪スペース設置が条文の中に明規されるようになった。
 今、江戸川区で新しくマンションを建設しようとすると、全戸数の1/10は、バイクの駐輪場が設置しなければならない規則になっている。


 私自身はバイクを降りてもう何年も経つが、10代の頃からバイクを乗り始めていた。高速道路料金が高すぎることから、高速道路を使って北海道へ行けなかったという経験から政治意識に目覚めた。今は乗っていないのだが、それでも私のアイデンティティーとして、バイクは大きく位置づけられている。
 その感覚は、もう故郷から離れて何年も帰っていないのに、私は○○県民であるという意識が抜けないようなものである。


 ライダーとは日本社会によって差別され続けている少数民族だ。少数民族は、声をあげて異議申し立てしなければ、ドンドン潰されていく。消えて無くなってしまう。そうならないためにも、私は少数者を代表して、ライダーの立場から、この社会の改善を訴えていく。
 対象者が少ないとは言え、私は自分が所属する少数民族の立場からも、政治の中で発言を続けていく。


2010年11月23日