田中けんWeb事務所

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日刊田中けん

李忠成選手のゴールで注目された国籍問題

 サッカーアジアカップは、在日韓国人4世の李忠成選手による華麗なるボレーシュートによって、日本が優勝した。
 これによるインターネット上での、メディアや一般市民の反応がとても面白かった。


「優勝者は韓国人だ」
 韓国国内では、この様な報道がされた。確かに李忠成選手は、在日韓国人ではあるが、既に日本国籍を取得した日本人である。それでも血統を重んじた韓国人としては、在日韓国人が決勝ゴールをあげたことを嬉しく思った人もいたことだろう。


 この様な報道について、皮肉を効かした中国人はこう語った。
「優勝者は中国人だ」
 韓国では、今回の日本の優勝を韓国人の優勝と言っているようだが、韓国人でさえ、元々は中国人だったのだ。だから、今回の優勝は、中国人の優勝だと言っても間違いとは言えないだろう。そんなコメントをして、何でも自国のモノといいたがる韓国人を揶揄していた。
 この様な中国人のセンスに、私は座布団一枚差し上げたい。


 李忠成選手は、若い頃、U-19韓国代表候補に選ばれた。その時、在日韓国人をさげすむ差別を受けたという。いくら血統が韓国系であっても、日本で生まれ、日本で育ったのだ。生粋の韓国人からすれば、うまく韓国語が話せなかったことも、差別される一つの要因だったのだろう。
 日本で生まれ育ったにもかかわらず、韓国代表に身を投じる彼の思いは、日本で差別されてきたけど、韓国に行けば、もっと自分を受け入れてくれるに違いないという期待感がとても大きかったはずだ。しかし、現実は、日本と同じ、またはそれ以上の差別感で迎えられたのだ。李忠成選手の言葉を借りて言えば、韓国での差別体験を「自分の世界観が崩れた」と表現している。
 差別と言うと、日本における韓国人・朝鮮人差別を思い出すが、このような事は、何も日本に限ったことではないのだと思い知った。韓国では、日本人差別、在日韓国人差別というのが、厳然としてあるのだ。決して誉められたことではないが、こう考えてみると、どっちもどっちではないか。
 ただし、在日韓国人は、日本で韓国でも、両方で差別される存在だったという点だ。


 決勝ゴールを決めて、試合が終わった直後に、李忠成選手は韓国メディアのインタビューに対してこの様に答えている。
 「自分でも感動しました。韓国人とか、日本人とかではなく、サッカー選手としてここにいます。誤解されないか心配です」
 それで良いと思う。国籍という重圧を意識しなくても、素晴らしいサッカー選手として大きく育ってもらえればと心から思う。


 対照的なのは、サッカー韓国代表のMF奇誠庸(キ・ソンヨン)選手のコメントである。
 日韓戦で旭日旗を見た奇誠庸選手は、「私の胸中で涙が流れた」と言い、「私は選手である前に大韓民国の国民」と主張した。


 スポーツ選手が、まるで兵隊のように、常に国を思ってプレーしなければならないというのは、本当に幸福なことなのだろうかと思ってしまう。愛国心があるのは良いことだろうが、それも度が過ぎると、相手国をまるで戦争相手国のように、過度に敵視したり、侮辱したりすることもあるだろう。
 きれい事を言っているようだが、あまり国を意識せずとも、プレーができる日本のサッカー選手は幸せだと思う。


 アジア杯の途中では、この様な事件もあった。
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 神奈川県小田原市の市立中学校で、1年生の女子生徒(12)が女子の同級生(13)を切り出しナイフ(刃渡り6・3センチ)で切りつけ、背中と左手に約1週間の軽傷を負わせていたことが28日、わかった。小田原署は女子生徒を傷害の非行事実で小田原児童相談所に通告した。
 同署や市教委によると、女子生徒は26日午前8時45分頃、授業が始まる前の音楽室で、同級生の背中を工作用ナイフで切りつけた。同級生はとっさにナイフを握り、左手中指に切り傷を負った。この直前、女子生徒の父親が韓国籍であることを複数の男子生徒がからかい、その後、同級生が「お前の席じゃない」と言って女子生徒が座っていた椅子を押したという。
 小田原署幹部によると、女子生徒は「サッカーのアジア杯日韓戦の翌朝で、父親が韓国籍であることをなじられた。脅せばいじめがなくなると思い、ナイフを持っていた」と話しているという。
(2011年1月28日21時54分  読売新聞)
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 犯人となってしまった中学1年生の女子生徒は、李忠成選手のゴールをきっと誰よりも喜んだに違いない。
 私が彼女に言えるメッセージは、例え父親が韓国籍で差別を受けようとも、日本で生きていくからにはそれは宿命だということだ。宿命から逃れることはできない。李忠成選手が体験したように、そのような差別は例え祖国の韓国へ行っても無くならない。その宿命を背負いつつ、これからは立派に更生して欲しい。


2011年02月02日