田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

政党は無くならない。しかし崩壊する。

名古屋トリプル投票:河村氏側勝利確実 市長、知事選制す
                            (2月6日 毎日jpより)
出直し市長選で当選確実となり、万歳する河村たかし氏=名古屋市東区で2011年2月6日午後8時3分、大竹禎之撮影 任期満了に伴う愛知県知事選と前市長の辞職に伴う出直しの名古屋市長選、同市議会解散の賛否を問う住民投票が6日投開票された。市長選では前職の河村たかし氏(62)=減税日本公認=が党派を超えて幅広く浸透し再選確実。知事選では河村氏が擁立した前衆院議員の大村秀章氏(50)=公明県本部支持=が初当選を確実にした。直接請求(リコール)による住民投票は賛成票が半数を超えて市議会解散となることが確実となった。【加藤潔】
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 私の過去の日記を振り返ってみた。
 2010年4月28日「二大政党制という概念に反対する」と題して、自分なりの政党感を表明していた。
 世の中には多種多様な考え方があるにもかかわらず、自民党と民主党という二大政党に集約させようとする政治の考え方にはおのずと限界があると私は主張していた。
 愛知県の選挙結果をどのように受け止めたらよいのだろうか。
 とにかく、自民党も民主党も、独自候補を擁立させて当選させることができなかった点で、存在感が全く無かった。


 政党が政治をするのではない。個人が政治をするのだ。


 政党政治が強くなれば強くなるほど、有権者の中で、政党に反発する意識が高くなっているのではないだろうか。


 なぜ政党は、政治家個人に対する強制組織となって、政治家個人の個性を伸ばすような組織運営をしないのだろうか。私は前からそう思っていた。決して、政党政治を否定する立場にはないが、政党の自己主張が強い政党ほど、政治家個人の顔が思い浮かばない政党も、実際にあるだろう。はたして、そのような政党主導の政治運営で良いのだろうか。


 政治は、たった一人の個人の信念が元となって、それに賛同する人たちによって力を得て変えていくものだと信じる。その賛同者とは、決して、従属させられる人たちではなく、自由意志によって応援もし、時には離れたりもする関係であると信じる。
 それにも関わらず、政党は個人の想いとは別に、組織の論理を全面に押し立て、強制する。
 今回の愛知県の県知事選や市長選挙においても、実際は、県知事に当選した大村候補や、名古屋市長に当選した河村候補を応援したかった、いや実際は裏で応援していた政党所属の議員もいただろう。そのような自由意志を認めないのが、政党である。もはや政党は、個人の自由意志に基づいて行う政治運動に対する抵抗勢力と成り下がっている。


 私は既存の政党を徹底して批判はするが、決して政党そのものを否定する立場には無い。現実に政党が無くなると言うことが私には想像できないからだ。しかし、現在の様な拘束的政党運営が続く、二大政党制は何とか打破しなければならないと考えている。
 では、どうしたらよいのか。
 いくつもの政党が出来ればよいのだ。無数に出来ることは好ましくはないだろうが、それでも、5~6党位の有名な政党が、常に国政にいるぐらいの状況はあってもいいだろう。


 今、この政治状況にあって、強烈な個性を持った候補者の前に、政党政治は影が薄くなった。このような個性を持った政治家を抱え込めない、いや追い出してしまう政党政治こそ、日本の政党政治の限界だと、私は見てしまうのだ。
 大阪の橋下知事もそうだが、今後、政党の影響を排した首長を中心とした政治運営について、大いに注目していきたい。


2011年02月06日