田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

私はブレーンを必要としている

 江戸川区議会議員選挙が終わりました。
 結果は、3280票・41位という成績です。
 前回の2007年が、3883票・25位ですから、差し引き600票も票を減らしてしまったこととなりました。


 綿密な選挙分析などは、もっと後の作業になりますが、今この場で言えることをお伝えします。


 私を支持してくれた方々は、「当選した。よかった。よかった」と温かい言葉を投げかけてくれます。
 しかし、このように多くの支持者から心配され、温かい言葉を投げかけてもらえる候補者は、それだけで幸福ではありますが、実は不幸者です。
 親不孝という言葉がありますが、さしずめ私は支持者不幸とでもいうべき存在です。


 濃い支持者とはとてもありがたいもので、親がそうであるように、無条件の愛を、いや無条件の支持をしてくれます。
 しかし、親を心配させるような子どもは良くない子どもです。同時に、支持者に心配されるような候補者はダメな候補者です。


「自分が心配するのではなく、他人から心配されるような候補者でどうする」
 心の中で、もう1人の自分が、自分に対して、そのように何度も言ってきます。


 自分の選挙ばかりが心配で仕方が無い。そんな議員が、本当に区政について、大胆な改革を打ち出し、実行することができるのか。毎日、毎日、自分の足元がふらついていることに不安を感じ、生活している議員が、保身に走るのは、ある意味、生物としての生存本能からすれば、当然の話です。(政治)生命の危機にあって、それでも悠然と構えていられるような人間は、むしろ愚か者と呼ばれるでしょう。
 しかし、政治家は人間であると同時に、むき出しの生存本能を肯定できない存在でもあります。自分は他者(支持者)によって生かされている存在。他者の政治に対する願いが、人間の形となって表れた存在。
 そう。生かすも殺すも、他者である支持者の裁量一つで、決まってしまう存在なのです。


 こんなことを考えると、私は「本音の政治」に唾を吐きかけてやりたい。
 世の中には、あたかも「本音=良、建前=悪」のような価値観が事前にできあがっていますが、本来ならば、本音も建前も、それだけで良悪は語れないはずです。それぞれが等価値の言葉です。
 それなのになぜ、多くの人々は本音であることに、価値を見つけようとするのでしょうか。私は政治にウソが多いことに嫌気が差している人が多いので、そのように「本当のことを語って欲しい」と思ってのことでしょう。


 しかし、本音などそう簡単に語られることはないのです。むき出しの本音など、あまりにも醜くて、とてもまともには見られたものではないはずです。人間、誰もが欲望を抱えている。その欲望のママ、忠実に本音むき出しになった人間が行う政治は、醜いもの、そのものズバリです。


「武士は食わねど高楊枝」
 私が好きな言葉です。
 本当は何か食べたいのだけれども、それを我慢して、武士としての体面を重んじる姿勢を高く評価します。


「何が区政のために良いことなのか」
 それが中心にあって、物事を考える原理原則にならなければならないのです。もちろん、これは建前です。それに対しての本音とは、
「何が自分のために良いことなのか」
 これを一番に考えて、動くことです。区政のためになることが同時に、自分のためにもなる。それが一番理想的でありますが、物事は全て理想的になるとは限りません。区政のためになっても、自分のためにならないこと、または区政のためにはならなくても、自分のためになることが、多々あります。その場合、どうしたらよいのか、私は判断に悩みます。そんなときには、崇高な理想を思い出すのです。
「何が区政のために良いことなのか」


 判断に迷ったとき、欲望のママ本音を採用してはいけないのです。あくまでも建前を前面に出し、建前を重んじて行動しなければならないのです。


 武士が、時に命を投げ出しても、戦わなければならない存在であるように、議員も、時に政治生命を投げ出してでも、戦わなければならない存在でなければなりません。


 そう。政治家とは常に建前を盾にして戦う存在、戦う種族でなければなりません。


何かの書物で、戦いに負けないための3つの方法があると聞きました。
① 自分自身の能力を高める
② 武器を持つ
③ 戦わない


 そこで私は強力な武器が欲しいのです。武器とは、強力な支持者のことです。


 もう5期も議員をしているのですから、江戸川区内では、私の知名度もそこそこあるとは思います。私のことが大嫌いだという方々もたくさんいるでしょう。それでも、私の政治活動を理解してくれる人も少しはいるはずです。

 しかし、理解者は支持者ではない。
 また支持者であっても、全員がいつまでも支持者であり続ける保証はない。心変わりする人もいるでしょうし、心変わりしなくても天命つきてお亡くなりになる方もいらっしゃいます。
 当たり前ですが、支持者とは一人じゃない。色々な顔を持った、グラデーション的に連なる緩やかな人間の集合体なのです。


 私はもっともっと多くの方々に御支持いただきたい。では、そのためにはどうしたらよいのか。それが私にはよくわからない。


 だからこそ、私は自分の脳を補ってくれる、人材を欲しています。区議会議員には、とても正規職員を雇えるだけの財力はありません。全て無償のボランティア活動になります。能力の高低は問いません。
 ですから、私と関わることに、それ自体に何らかの楽しみやメリットをご自身で見いだせるような方でないと難しいことは事実です。


 でも、「それでも構わない」という奇特な方が、もしいらっしゃいましたら、是非ご連絡ください。
 4年後まで、お待ちしております。


「僕と契約して、僕のブレーンになってよ!」


※ 支持者とは?
 私が言う支持者とは、私に一票を投じてくれる人。または私の政治活動、および選挙活動を直接応援し、手伝ってくれる人のことをいいます。


※ 理解者とは?
 私が言う理解者とは、私の選挙区にあって、他候補に投票しているが、私の政治活動などを評価してくれる人。または選挙区外にあって、政治活動や選挙活動を応援し、手伝ってくれることはないが、賛意を示してくれる人のことをいいます。


2011年04月28日