田中けんWeb事務所

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日刊田中けん

支那という呼称について

石原都知事「中国をシナと呼ぶように」、中国で怒りの声
 2012/03/23(金) 09:51 サーチナより
   
  石原慎太郎知事は21日、首都大学東京の卒業・修了式に出席し、卒業生に向かって「中国のことを『シナ』と言わないとだめだ」と発言した。中国メディアの環球時報(電子版)が22日に伝えた。石原都知事の発言に対し、中国のインターネットでは怒りの声があがった。


  石原都知事は小惑星探査機「はやぶさ」について触れた後、「お隣の『シナ』は虎視眈々(たんたん)と日本の衛星技術を盗み出そうとたくらんでいる」と述べ、さらに卒業生に中国を「シナ」と呼ぶよう促した。「シナ」という言葉の由来には諸説あるが、日本では蔑称(べっしょう)とされるのが一般的だ。


  石原都知事の発言に対して、中国人ネットユーザーからは怒りの声があがった。いつものように「日本製品をボイコットしよう」という呼びかけがなされ、また「日本が存在し続ける限り、中国は永遠に心休まる日がない」といった発言も見られた。


  あるユーザーは「では中国は日本のことを何て呼ぼうか。犬、邪馬台国(やまたいこく)、倭国(わこく)、鬼なんてどうだろう」と述べ、また別のユーザーは「これは良い機会かもしれない。彼が首相になったら日中戦争を起こすだろう。そうなったらわれわれは琉球を奪い返そう」と過激なコメントも見られた。


  なかには少数ながらも「特に何も思わない。この言葉は台湾でよく聞くし、その次は香港、また日本だろう。これは中国の音訳にすぎない。中国はすでに日本の宗主国でないし、両国を同等に見ているという意味だ」と述べるユーザーも見られた。(編集担当:及川源十郎)
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 中国という国の名前がある。
 しかし、少し歴史に興味がある人ならば、私と同様のもどかしさを感じた経験者は、きっといるだろう。
 日本という国は、江戸時代だろうが、戦国時代だろうが、鎌倉時代だろうが、日本は日本だ。
 それに比べて、今、中国と呼ばれている地方には、時代を超えて、普遍的な呼び名がない。
 それに、日本には、中国が誕生する以前から、中国“地方”という地域が存在しているのであって、日常的に使用する場合、とても紛らわしい。


 現在の中華人民共和国の前は、中華民国であり、その前は清、その前は明、その前は元となり、有名な三国志に登場する、魏、呉、蜀が登場するのは、更にずっと昔の話である。


 国を指し示す領土も、一定不変ではなく増減を繰り返していた。その時代、その時代にあって、国の名前も変わってきた。その時、私が不便だと思ったのは、この中国と呼ばれている土地を、時代を超越して統一的に呼ぶ呼称が無いと言うことだった。
 普通に、中国と呼べば良いではないかと思う人もいるだろうが、中国と呼んでしまった場合、それは中華人民共和国や中華民国のことを言うのであって、それは言うなれば、政権党が名付けた国名であって、時代を超越しない。つまり正確な使われ方としていない。


 今、中国と呼ばれる地域は、正確には、漢民族が満州、モンゴル、ウイグル、チベットを侵略占領してできた領土である。かつては漢民族の支配になかった地域も含めて、中国と呼ぶことに対しては、それだけでも通史的には、危うい可能性を秘めている。


 よく「中国4千年の歴史」などと一般的に言われることもあるが、中華民国の成立は1912年からであり、中華人民共和国の成立は、1949年であって、実際の中国の歴史は、長く見ても100年ほどしかないし、現在の大陸を支配する中華人民共和国から数えても、60年余の歴史しかないのだ。


 つまり、通史を考えたときに、中国という呼称は、多義的であいまいであり、それはそれとして時代を超えて通用する呼称が必要であると考える。それが支那という呼称だ。


 支那は、Chinaが語源である。極東アジアの大陸に住む人たち自身が、自分たちの国のことを何と呼ぶかではなく、ヨーロッパから見て、何と呼ばれていたのか。それが、Chinaだ。それぞれの外国語で、Chinaは何と呼ばれているか、調べてみた。現代では、Googleの翻訳機能を使えば、誰もが外国語の発音を知ることができる。
 英語では、チャイナと呼ぶ。ドイツ語では、シーナ。スペイン語では、チナ。オランダ語は、シーナ。フランス語では、Chineと表記は変わるが、チーナ。


 では、いつ頃から、支那はシナと呼ばれるようになったかと言えば、それは江戸時代中期にさかのぼる。その頃、支那は、唐(から)、または唐土(もろこし)と呼ばれていた。それを当時、西洋かぶれした学者が、支那と呼ぶことに対して、本居宣長(もとおり のりなが、1730-1801)が、そのような軽薄な風潮を批判している。
 本居宣長先生の批判はともかく、支那と呼称することは、むしろ世界標準の呼び方を模倣したのであって、すぐに外国文化を受け入れてしまう軽薄な日本の風潮が、本居宣長先生のような学者に批判されることはあっても、そこに差別意識とか蔑称であると言う批判は、一切無かった。


 結論として言えば、私は石原都知事のように、「中国のことを『シナ』と言わないとだめだ」とまでは言わない。しかし、「中国のことを『シナ』と言ってはダメだ」という風潮が、今の日本にあるのならば、「それは違う」と断言できる。
 現在の私も、書き文字の時は支那と書くこともあり、話し言葉の時は中国と使うこともあり、徹底した使い方ではないが、世界標準語としての支那の呼称は、意識的に使い続けていきたい。


 「支那そば」「東シナ海」はそのままで良いし、「漢字」を何も「中国字」のような言い方にする必要もない。
 Chinaは、支那であって、シナ以外の何ものでも無い。何か文句があるならば、まずはChinaと呼称する西洋文化に対して、文句を言う方が先であろう。


2012年03月26日