田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

心の言葉

昨日の講演会で、どんなに物質が豊かになっても心が貧しい人は豊かになれないという話を聞いた。
同時に、どんなに教養や学歴が無くても、心からの言葉は人の心を打つものだと言われた。


「政治家の言葉は嘘くさい」
そう思う人は昔から少なからずいるだろうが、
マニフェスト選挙になって、それはより顕著になった。
候補者は、自分で何かを訴えるのではなく、
政党のマニフェストを伝えるための
メッセンジャーと成り下がった。
そこには、候補者本人が真に訴えたい心の言葉は少なくなった。


私は何度も言うように、
比例代表制のような政党に主体性を持たせた
選挙制度は、根源的な意味で候補者を
政党メッセンジャーにしてしまうと言う意味で、
危惧感を持っていた。


もちろん小選挙区制は最悪なのだが、
だからと言って、比例代表制が良いと考える人たちは、
「政党が主体性を持つ」
その意味や危機感が薄いように思えてならない。


候補者が有権者に訴える心の言葉とは、
むしろ時流から外れ、今まであまり他の人たちが
興味関心を持たなかったような話題に、
有権者達を振り向かせるだけの迫力がなければ、
その言葉は、人々に届かない。


郵政選挙と言われたように、
それまで主要な政治テーマだと思われなかった
郵政の民営化が、政治の真正面に出てきたのは、
当時の小泉純一郎氏が、心の言葉として、
多くの有権者の心を掴んだからだろう。


候補者は変わっていれば変わっているほど、
心の言葉を持っていると信じたい。
しかし、候補者は変わっていれば、変わっているほど、
政党からは疎まれ、有権者からは奇人扱いされる。


それでも何かを変えたい、または変えたくないという
訴えは、時流とは別に、正に個人的なテーマとして、
その候補者個人に存在し、
それまで気がつかなかった有権者に、
「今、こんな問題があるのです」
と伝えていく努力を惜しんではならないと思う。


それこそが、心の言葉なのだから。
心で言葉を語ろうとすると、
実は意外と上手く話せないことに気づく。
また言葉につまってしまうこともある。


哲学的思考になるが、
「心の言葉」を話し言葉にすると、
それだけでその話し言葉は、
厳密な意味では「心の言葉」ではなくなる。
なぜならば、心に浮かんだ思いをすべて話し言葉にすることなど、
不可能だからだ。
どうしても話し言葉は、「心の言葉」の不完全体でしかなくなる。
それは同時に、書き言葉もまた「心の言葉」の不完全体でしかないことを意味する。


フランス語で、話し言葉はパロールと呼ばれ、
書き言葉はエクリチュールと言われる。


真摯に心の言葉を語ろうとすればするほど、
その人はきっと、不完全体でしかありえない
パロールに愕然として、愕然としつつも、
形としなければ誰か他の人には伝わらないのだから、
妥協しながら口にするのだ。
同時にそれは、エクリチュールでも全く同じで、
不完全体でしか無いエクリチュールに愕然としながらも、
妥協してそれを文字とするのである。


また言葉は必然的に、それを受け取る受動体たる他人によっても、
違った意味で伝わってしまう。
政治家の言説がそうであるように、
ある人には素晴らしいと聞こえる演説も、
ある人からすれば嘘らしいと聞こえ、
ある人からは間違いだと思われる。


聞いた言葉は一緒でも、それを受け取る人の思いは、
またそれぞれ別なのだ。


そのように間違いなく不完全にしか伝わらない宿命を
認めつつも、政治家は心の言葉で、有権者に
政策を訴えることが求められている。


少なくとも私は、政党に従属しきらない、
個人の興味関心に基づいた
「心の言葉」をより多く聞いてみたい。
私も訴えていきたい。


2013年02月21日