田中けんWeb事務所

江戸川区議会議員を5期18年経験
巨大既存権益組織に斬り込みます!

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日刊田中けん

昨日の私が予特で怒ったこと

職員には職員として求められる言葉遣いと行動がある。
求められる言葉遣いと行動を逸脱して、
議員に対して失礼な言動をすれば、
それは当然、抗議するに値する。


 なお、以下書き記すことは、私の記憶により再構成された発言内容であって、大筋は間違いないですが、一言一句の正確さを持って、ここに記載しているわけではないことを、あらかじめご了承いだだきます。


 さて、昨日どんなことがあったのか。


 予特において共産党議員が質問した。
 その質問に対して、担当部長が声を荒げて反論した。
「(いい加減な仕事をしているという指摘に対して)
そのように言われること自体、私は納得できない」


 部長答弁を聞いていた私は
「なぜ感情露わに反論するのだろう」
 そう思った。職員は職員として、議員の質問に対して、
坦々と見解を述べればいいのことだ。
議員の批判めいた言動に対しては、
“自分はそう思わない”という意思表示をすれば良いのであって、
声を荒げたり、ことさら議員の批判に、私は怒っているという挑戦的な言葉を使って答弁すべきではない。
 職員の答弁として、違和感が残った。


 同じくその時の予特で生活者ネットの議員が質問した。
 その質問に対して、先ほどと同じ部長が答弁の冒頭にこの様に発言した。
「議員さんは、どれだけのイベントに顔を出されているかは知りませんが、・・・・・・」
 明らかに質問した議員を小馬鹿にした枕詞だ。
“おまえは、区内のイベントという現場を知らずに質問しやがって・・・”
という意図が、その枕詞からは、すぐに読み取れる発言だ。


 職員とは、たとえ相手の議員が無能だと思ったとしても、
「職員として求められる言葉遣いと行動」
が厳然としてある。


「議員さんは、すべてご承知だと思いますが・・・・・」
 このような決まり切った枕詞をつけて、議員の知らないことを答弁するのである。
 例えどんなに知らないような知識であったとしても、
「議員ならば知っている」という建前の元に発言するのであり、
それが議員を尊重した職員としての答弁となる。


 だからこそ、先ほどの部長答弁の模範解答は、
「議員さんは、“すべての”イベントに顔を出されて、内容も重々承知のこととは思いますが、・・・・・・」
という枕詞から始まって答弁するのが正しい。


「失礼じゃ無いか」
 私がボソッと、つぶやいた。
 すかさず、その質問をしたネットの議員に私は「今の答弁は失礼でしょ」と、話をした。
 その空気を察してか、さすがに自民党の一部の議員たちがざわついた。
 そのような部長答弁を受けて、ネットの議員が冒頭に、
「部長、その答弁は失礼ですよ。・・・・・」
 と軽くたしなめてから発言を続けた。


 予算特別委員会が終わって、私は予特の委員長の後を通るときに、
「委員長、先ほどの部長答弁は失礼ですよ」と軽く指摘して通りすぎた。


 控室まで帰る間、私はさきほどのネットの議員さんと、
部長の言葉遣いが失礼だという話をした。
 その議員さんは、区長が議員に対して失礼な対応をするから、
それが職員に影響するのだとおっしゃっていた。
 そうこうし4階から2階の控室にもどる階段の踊り場で、
部長が、そのネットの議員に謝りに来た。
「先ほどは済みませんでした」
 その時、私は間髪を入れず、その部長に対して抗議をした。
「あの答弁は失礼だ。何であのような言い方をするのだ。議員に対しては、たとえ何も知らないと思うような相手でさえも、『すべてご承知だと思いますが』という態度で答弁するのが当たり前じゃ無いか。あれは酷い。私は、例え他の議員であったとしても、その議員が侮辱されたと思えば、それは私個人に対する侮辱と受け止めて抗議する」
 そう発言し終わったところで、当の本人である議員が、
「田中さん、ちょっと・・・・」
と私の発言を遮ったので、私は不愉快極まりないという表情で、その場を後にした。


 控室に戻ってからも、その怒り収まらず、カッカして、
「部長の言葉はなってない」
と、同室にいた同僚議員たちに話をしていた。


 私の発言を聞いていた議員の一人は、共産党さんにしろ、ネットさんにしろ、相手の議員が女性だったので、部長は舐めた発言をしたのでは無いだろうかと感想を述べた。
 きっと男性議員に対しては、そのように舐めた答弁はしないだろうと。


 確かに今回、私が指摘した二人の議員さんは、女性だった。
 もし部長の心の底に、女性はぞんざいに扱っても良いという意図があって、そのような答弁につながったとするならば、それはそれで問題だろうが、これは偶然の可能性もあり、推測の域を出ない。


 また対象の議員が、共産党やネットという少数会派の議員に対しての発言だったのだが、はたして同じ女性議員でも、自民や公明の議員に対して、この様な発言を部長はしたのであろうか。きっと、しなかったに違いない。これは私の推論だ。


 でも私が本当に怒っていたのは、部長の失礼さではなかった。
 議員が失礼な対応を受けたときに、立場の違いを超えて、
「それは失礼だ」
と一緒に抗議できない同僚議員たちに腹を立てていたのだ。


 一議員に対する侮辱を、まるで自分への侮辱のように共感して、怒れない鈍感さに対して、私は強く憤っていた。
 なぜ他の議員たちは、このことに対して鈍感なのだろうか。


 これはたとえて言うならば、
電車の車内で、暴力行為があって困っている人がいたとしても、
「俺には関係ないよ」
と言って、見て見ぬ振りをする不干渉ぶりと同じように思えた。


 いや、百歩譲った言い方をしよう。
 車内での暴力にあっては、どんなにそれが理不尽であっても、暴力の主体が、あまりにも強そうに見えて、自分では抗議も反撃もできないと言うことは現実にあろう。


 しかし、今回の議会における答弁にあっては、相手が強すぎるから抗議できないというわけではない。
 もし自分が抗議したからと言って、相手から反撃されるわけでもなく、身の危険を感じるわけでも無い。それなのに、むしろ職員の失礼な態度を指摘する責任を自ら放棄しているかのような
「できることさえもやらない」
 そのことに対して、私は怒っているのだ。


 私の怒りに対する真の矛先は、失礼な部長では無く、動かなすぎる鈍感な同僚議員に向けられたものだ。


 それはまるで、充分な戦力を持ちながら、尖閣にあって、執拗に支那の干渉を許している自衛隊および、その自衛隊に適切な命令を下せない政治家のようなものではなかろうか。


 鈍感力が人間として重要な資質であることを私は否定しない。
 しかし、この場にあって、議員が鈍感でいてはならない。


 私は議員ならば、誰もが持ち得ているだろうと信じて疑わない「共感力」がここまで衰えてしまったのかと思うと、怒りを通り越して、本当に情けなくなる。


 最後に、私が新人議員だったときに、今でも尊敬する公明党の先輩議員から教えていただいた言葉を紹介する。


「かつて中里区長は、共産党の質問に対していい加減な答弁をした。それに対して私は、『区長、たとえ相手が共産党であっても、そのようにいい加減な答弁は許されない。もっとしっかりとした答弁をしろ』と抗議をして、区長を謝らせた」


 真の議会人とはこうありたい。


2013年03月01日