3月24日(火)に区内一斉に、小学校の卒業式がありました。
我が母校では、卒業証書授与式にあって、上手から壇上に登った小学生が客席を向いて、立って待機しています。名前を呼ばれた後、「ハイ」と返事して一言述べます。

「僕は中学校へ行ったら、英語の勉強を頑張りたいです」
「私はケーキが好きなので、将来はパティシエになりたいです」

ほとんどの子どもは、中学、大学、職業について、夢を一言語ってから、壇上中央、校長先生の面前まで歩き始めます。

この様な形式事態は、それはそれで結構なのですが、私が気になったのは小学生達が話す「~たいです」という語尾です。

小学生たちの夢は、そのほとんどが「~ます」という語尾に変えても何ら変わらない言葉です。いやむしろ「~ます」の言い方の方が、スッキリして聞こえます。

「僕は中学で野球をやって、高校では甲子園に行きたいです」
「僕は中学で野球をやって、高校では甲子園に行きます」

どちらの方が聞きやすいでしょうか。
前者の方が、謙虚な言い回しで好感を持つという方もいるでしょうが、スッキリ耳に入ってくる言い方は断然後者の言い方です。

「私が当選したら、環境問題に取り組みたいです」
「私が当選したら、環境問題に取り組みます」

前者の言い方をする政治家、候補者はまずいません。もっと言えば、「当選したら」という前提条件を言わない政治家、候補者が大半のはずです。

 政治家、候補者は、スッキリ聞こえる短い言葉の中に、強い意志を込めて、聴衆に語ることを仕事としている人たちだからです。

小学生に政治家の言い方を真似しろという訳ではないのですが、もう少しスッキリ聞こえる言い方を、現場の教師は心がけて指導されると良いのでは無いでしょうか。

もし私の主張を妥協するのであれば、少なくとも本人の意志だけではどうしようもない未来については、「~たいです」という言い方も認めましょう。

「私は将来、検事になって多くの人々の役に立つ仕事をしたいです」

このように検事になるためには、その条件として司法試験という厳しいハードルが人生に立ち向かっています。どんなに努力しても、そのハードルを越えられず、夢を叶えられない人がたくさんいる現実を考えれば、本人の努力だけでは叶わない「選ばれた職業」を夢に持つ人たちならば、「~したいです」という言い方もありでしょう。

しかし、こんな柔軟な私でも妥協できない言い方はあります。

「私は中学に行ったら、英語の勉強を頑張りたいです」

頑張るか、頑張らないかは、他人から選ばれる行為ではありません。また不確定な未来の実現を予告する行為でもありません。

「私は中学に行ったら、英語の勉強をして100点を取りたいです」

これならば、努力した結果が100点取れるか取れないかが不確定なので、「たいです」という言い方もありでしょうが、本人が希望すれば簡単に実現する未来に対して、「~たいです」という言い方はないのです。

「僕は学校から帰ったら、テレビを見たいです」

こんな言い方は普通しません。この様な言い方をする小学生がいたら、それはよほど家庭環境の中でテレビを見せてくれない家庭なのか、今は家庭にテレビが無い子どもなのかと想像してしまいます。子どもが見るにふさわしく無い深夜番組でも無い限り、家に帰れば容易に子どもたちはテレビを見られる家庭環境にあるはずです。

私が学校の先生方に言いたいのは、卒業式という晴れの舞台にあって、短い言葉に込められた小学生たちの意志を、もっとスッキリした聞きやすい日本語で言えるように指導して、語らせてあげて欲しいのです。
小学生、個々の意志は尊重しつつ、その表現方法に関しては、日本語の達人として、子どもたちを指導してください。

蛇足になりますが、実際の卒業式では、個性的な一言があったことを、ここに紹介します。

まず一人の男の子です。

右手に立った彼は正面客席では無く、左方来賓席に軽く向きを変えて話し始めました。

「僕が卒業すると言うことは、お父さんもPTA会長を卒業すると言うことです。3年間ご苦労様でした」

二人目は女の子です。

「私は将来、~になりたいです。(このように将来の夢を語った後、・・・・・・)飯塚先生大好き」

担任の先生に対する公開告白でした。
シャレなのか、本気なのかは定かではありませんが、場内一堂がざわついた瞬間でもありました。

最後に、私が提唱するように、自分の夢と未来を「~ます」で言い切った小学生が、卒業生106名の中に、男子2名、女子1名いたことも合わせてご報告いたします。