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園崎お魎のセリフ

アニメ「ひぐらしが鳴く頃に 解」18話 祭り囃し編「最後の駒」より


登場人物紹介
園崎お魎(そのざきおりょう):雛見沢における御三家筆頭の園崎家頭首。魅音、詩音の祖母。厳格かつ頑固、非常に気難しい性格で、一度機嫌を損ねると容易には直さない。しかし気に入った人間には助力を惜しまない一面もある。


園崎魅音(そのざきみおん):雛見沢を実質的に支配している園崎家頭首、園崎お魎の孫にして園崎家次期頭首。姉妹に双子の妹である詩音がいる。中学3年生で歳は15歳前後。


《注:園崎家当主ではなく、園崎家頭首と表記しているのは、園崎家は通常の“家”の概念を超えた大きな組織だから。市議会議員、国会議員、弁護士、不動産屋、パン屋、おもちゃ屋、レストランなど、園崎家は血が繋がっている親戚筋だけでも相当の広がりがある。婿や養子を入れればもっと大きくなる。だからこそ当主ではなく、『集団の頭』という意味の“頭首”を使う。福岡県飯塚市における麻生家のようなイメージかと。》

魅音「ねえ聞いていい。よそ者嫌いのばっちゃがさぁ、どうしてわざわざ分譲地になんかしたの?」
お魎「わたしゃーよそもんなんか嫌いだし、都会もんも大嫌いだ。だが村には必要なんよ。空気の入れ換えみたいなもんさなぁ」
魅音「空気の入れ換え?」
お魎「外から竜宮のレナちゃんが引っ越してきて友達になってくれたんだろうがぁ。近い歳の友達ができてうれしい、いうておったがな」
魅音「うん。予期せぬ友達が突然できるのはいいね。えへ」
お魎「レナちゃんが来る前は魅音、学校が退屈だぁ退屈だぁ、言うとったぁね。よー覚えておる。んふふふふふ」
魅音「それが外から引っ越してくることによる効果だって言いたいわけ?」
お魎「どんな寒い冬場かて、たまには換気をせんとな。いろりの悪い空気がたまって窒息しちまう。寒くてしんどいのは承知で、窓をがらりと開けることもあるんよ」
魅音「外から人を迎えることが、村の換気になるってこと?」
お魎「あー、そして綺麗な空気を入れて、私らみたいな悪い空気は、とっとと追い出されるべきなんよ」
魅音「引っ越してくる人にそこまでを期待しちゃうのは気の毒じゃない?」
お魎「誰が引っ越して来ても、きっと村は変わる。願わくばそれが元気な若者で、わしら年寄り連中が安心して村を任せられるぐらい大暴れしてくれよると嬉しいんだが」
魅音「ふーん」
お魎「魅音」
魅音「んー」
お魎「おまえ、北条の悟史が消えた日、あたしに詰め寄ったろが」
魅音「あー、そんなこともしたね。うはははは」
お魎「あたしゃーなぁ、あれで目が覚めたんよ。北条家がどうのこうのいう問題は年寄りどもが死ねば時間が解決してくれるなんてんじゃ、あかんねん。そんなの待たずに、はよー解決せなあかん」
魅音「自分にはそれができないから、よそ者にそれを託すってこと?」
お魎「それがあたしにできる精一杯だんね。うーん」
魅音「他力本願の極みだね」
お魎「新しい風は魅音、おまえらの世代になる。外の風を迎え入れたれな。そしておまえは内からの風となって混じり合い、村のよどみを吹き飛ばしてくれ」
魅音「それが次期頭首の仕事だってんなら」
お魎「頼むわ、魅音。あたしゃー老いたね。もう憎まれ役しかでけん」
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 このテクストを地域ボスの婆さんとその孫の会話ではなく、議会における古参議員と新人議員の会話に置き換えてみたらどうでしょうか。
 古今東西、若くして業績を残した者とて、独力でその仕事ができたわけでありません。やはり上の者がその努力と才能を見いだして、そしてしかるべき地位の付けたからこそ、業績を残せたのです。優れた上の者とは、自分が望むと望まざるとに関わらず、地域や組織にとっては、何が良いかをよく知っています。その意味では、たとえ自分が気に入らないようなことであっても、それが地域や組織にとって必要だとわかれば、自分の好き嫌いを優先することは無いのです。大局観で物事の善し悪しを判断できる人物です。


 かの吉田松陰は、「世に人材がないなどということはない。人材が生かし切れていないだけだ」と説きました。つまり、どんなに人材がいても、その人材を適正な場所に配置できる上の者がいないということになりましょうか。正に名言だと思います。
 この世の中は実力主義だと言いながらも、実は、血縁主義や経験主義や学歴主義などが横行しています。「真の実力」や「真の才能」などは、潜在能力も含め指導的立場の人間が的確にそれを見抜き、大胆に新人を登用することなどは、普通できないのです。つまりこの世には、名ばかりの指導者しかいないとなりましょう。


 そして、優れた指導者とは後進を育てつつも、同時に自分自身の存在がいつか後進にとって邪魔になることも同時に知っています。あえて自分のことを自虐的に評価します。その自虐性故に、後進によって自らの存在を否定するように、わざと仕向けるのです。


 2009年の紅白歌合戦では、歌手の布施明が「名前だけで出場することをやめる」と言って、一度紅白を卒業することを宣言しました。自分が出場している枠を、ポップスで頑張っている若者たちに譲りたいとのことだそうです。名前だけで出ていると、歌唱曲もほぼ固定されてしまって同じ曲になってしまうことも、彼からしたら居たたまれなかったのでしょう。ただし、永久にでないのではなく、もし仮に自分が一番になったら再び出場するともお考えのようです。


 そう言えば、かつて私の身近にいた政治家も、そのことを良くご存じでした。
「落選したら、辞められる」
 そのように日頃から言っていました。何とも味わい深い言葉です。
「自分のようにしがらみに囚われた議員は、十分に汚れた存在だ」
 こんなセリフも平気で口に出して言っていました。その方は、日常生活では、愚かなことをしていても、議会の中での言論はしっかりしたものでした。それでいて、一度ポストから外れると、外野から口出しすることを極力禁欲していました。なぜ禁欲していたかと言えば、もし外野から口出ししてしまえば、それは「天の声」のごとく機能し、今、指導的立場にある人間の権威を貶めてしまうからです。確かに、それによって、自分の思うように事は進むことでしょう。しかし、それは自分が存在し続けられるまでのことであって、決して後進のためではない、むしろ後進にとっては思うように動けないという意味で、自らの存在が害悪にしかならないことを知っているが故の禁欲だと思うわけです。

 私はこのように優れた政治家であっても、政治的主張の違いから政策的なことは何一つ学びませんでした。しかし、優れた政治家とは、どう立ち振る舞うべきかという、身の処し方については大いに勉強させていただきました。今はまだできなくても、自分が60歳、70歳になったとき、どのように出処進退を決めるべきなのか、それは今から考えていても遅くはないと思います。
 日々、政治家業を続けていると、そのように立派な政治家が、1人また1人と無くなって、「先生」と呼べる存在が無いことに気がつかされます。それは悲しくもあり、自らの責任も同時に感じなければならない瞬間です。
 私は自分が引退するときまでに、どのような新人が、真に才ある者かを見抜けるだけの眼力を今から養っておきたいと思うわけです。

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2010年01月02日 01時52分