差別はいけない。偏見はいけないと人は言う。 それは正しい。

しかし、 初めて会ったアメリカ人が嫌な奴だった。
二回目に会ったアメリカ人も嫌な奴だった。
三回目に会ったアメリカ人も嫌な奴だった。
それでは、四回目に会うアメリカ人に対して、会う前からその人はどのような印象を持つだろうか。

どんなに差別はいけない、偏見はいけないとは言っても、人は誰もが学習する。 同じ事が三回続けば、四回目もきっと同じ事が起こるだろうと予想する。 それは偏見なのだろうか。差別なのだろうか。

アメリカ人と日本人の立場を逆にして考えてみよう。
外国人に対して「嫌な奴」と日本人が思われたら、 いつかそこに初めて行く日本人もきっと同じ 「嫌な奴に違いない」 そう思われると、日本人は思っている。
全くの他人であっても、我々は日本人という国籍でつながっている。 外国に行くとそれがよくわかる。
だからこそ、日本人は外国に行って失敗した日本人に対してとても厳しく接する。
それは相手が、同朋たる日本人だからだ。
他の日本人が外国へ行ったときに、 不当に不利に扱われる事を避けるためだ。

2018年10月23日に、これまで身体拘束されたいた安田純平氏が解放された。氏は同月25日に無事に日本へ戻ってきた。 これ自体は喜ばしいことだが、多くの日本人が素直に安田氏の帰国を喜んではいない。私もその一人だ。 なぜそうなるのか。
安田氏は、失敗したのだ。
その失敗は、安田氏個人のみならず、 いつか日本人全体が大なり小なり引き受ける責任に転嫁される。
それを多くの日本人は知っているから、 安田氏は、同朋たる日本人から批判されるのだ。
安田氏が批判される理由、 それは安田氏が真の日本人ならば、 誰言うこと無く、氏自らが痛感していることだろう。