よく知識人が、「政策本位の選挙を」などと言ったりするが、実際の選挙は政策本位でなど選ばれていない。
それと同時に、政策本位の選挙が最良の選挙だとも、私には思えない。

政策は候補者に対する総合的評価の一部であって、それもごく一部でしかない。
仮にどれだけ素晴らしい政策を主張する候補者だとしても、 人物が変節漢であれば、どんな美辞麗句も空しく聞こえてしまう。
政策は重要ではあるが、とてももろい、すぐにでも変わってしまう、崩れてしまう、
私には、そのようなものに見えてしまう。

「政策本位の選挙」という言葉に、私は長年反発してきた。

「政策は一夜にして変わるが、性格は一夜では変わらない」
変わる物よりも変わらない物に信頼性があるとすれば、人が信じるべき対象は、政策よりも性格だ。
地縁血縁が大きくものをいう社会にあっては、政策など蟷螂の斧にしか過ぎない。

それでも私は政策を語る。 政策が持つ、その人に投票してやろうという力がとても弱いにもかかわらず、私は政策を語ってしまう。
「今さら政策など語っても1票も入らない」 確かにそうかも知れない。

しかし、それでも政策を語るのは、 政治にロマンを求めているからだろう。
我ながら青臭いと思って言うのだが、 この青臭さこそ、多くの若者が社会を動かしてきた原動力なのだろう。

「政治は現実だ」
とても正しい認識だ。
「政治はロマンだ」
これも正しい認識だ。

現実ばかりに振り回されて、ロマンを語れない政治家にはなりたくない。
そんな青臭い思いが、今の私を突き動かし、私に政策を語らせる。