週刊ヤングジャンプに連載中の「極黒のブリュンヒルデ」を読んだ。
登場人物の女の子たちは、多くが高校2年生。人体実験により、体内にドラシルというアメーバ状の生物が埋め込まれている。
そのドラシルが体内で大きくなると、孵化と言って元の人間の身体から化け物に変身する。その化け物は、人間だった時の記憶を失って、回りの人間達を食べてしまう。
女の子たちは、自分がいつ孵化するかわからない状況の中で、日々の生活を送っている。
カズミという女の子がいる。いつ死ぬかわからない自分に対して、自分が生きた証としてこの世に子どもが欲しいと思っていた。それもできれば、自分が好きな村上良太の子どもが欲しかった。
しかし、村上はカズミに興味が無く、どんなにカズミがエッチな誘いをしても、全然カズミの気持ちには答えなかった。
マンガは、さすがのカズミも村上のことをあきらめて、他の男と子作りしようかと考え直そうかと悩んでいるシーンだった。
私はこのシーンを読んで、カズミの真摯な気持ちとして、自分の子どもを世に残したいという切実な気持ちを少し理解した。
人間の命は一つではない。一人の人間は、一人の人間でありながら、いくつもの命を持っている。
例えば私は、生物しての命と政治家としての命の最低でも二つの命を持っている。政治家生命という言葉が一般に使われるように、この2つ目の命は世間でも認知度が高かろう。
同じようにスポーツ選手も、選手生命というもう一つの命を持っている。
政治家でも無いスポーツ選手でも無い、普通の人間であっても、生物としての命と、健康寿命という介護を必要としない命、すなわち寿命を持っている。
そう考えると、マンガでカズミが考えるように、「出産可能寿命」とでもいうべき寿命が、全ての女性にはある。しかもその寿命は、男性のそれに比べて一般的に短い。生物としては、まだまだ若い段階で終わってしまう命である。
いつ孵化し、化け物となってしまうかわからないカズミにとっては、生物的には生きながらえても、人間で無くなった時点で人生が終わると考えている。
だからこそ好きな男を誘うのだが、男はその誘いに乗ってこない。これが単なる恋愛の妙と言い切れないのは、「明日、人間で無くなってしまうかも知れない」という切実な状態に、カズミが置かれているからで、この過酷な運命を真剣に考えているからこそ、誰かと、いや村上と、子作りしたいと思うのだろう。