本来の意味は、 能書家の弘法大師はどんな筆であっても立派に書くことから、その道の名人や達人と呼ばれるような人は、道具や材料のことをとやかく言わず、見事に使いこなすということ。

だがしかし、これは嘘だ。
名人や達人ほど、道具や材料を大切に扱う。
どんなに優れた騎手でも、 その時最高の馬に乗りたがる。
騎手から選ばれなかった馬は、 二番手、三番手に選ばれた騎手に乗られる。
それでも勝つ馬は勝つ。

1993年はまさにビワハヤヒデの年だった。
「最も早い馬が勝つ」と言われた皐月賞では2位だった。
「最も運がある馬が勝つ」と言われた日本ダービーでも2位だった。
「最も強い馬が勝つ」と言われた菊花賞では1位だった。
ビワハヤヒデの菊花賞までの成績は、1位6回、2位4回。これが全てだった。
この年は、他にも皐月賞で1位だったナリタタイシンがいた。
日本ダービーで1位だったウイニングチケットもいた。
そして日本馬では勝てないと思ったのか、ビワハヤヒデが出走を回避したジャパンカップで1位だったレガシーワールドもいた。
春の天皇賞でメジロマックイーン三連覇の夢を破り1位となったライスシャワーもいた。
また6年ぶりに牝馬二冠を達成したベガがいた。
ビワハヤヒデを筆頭にこの年強かった馬が一堂に会した。

1993年12月26日、第38回有馬記念は開催された。
群雄割拠たる有力馬の中に、過去の栄光を持つトウカイテイオーがいた。
皐月賞と日本ダービーを勝った二冠馬であり、ジャパンカップも勝ったことがあるトウカイテイオーではあったが、
故障続きで、1992年の有馬記念を最後に、1993年は1度も走っていない馬だった。
では、騎手として誰がトウカイテイオーの乗るのか。
これまでトウカイテイオーに乗ってきた岡部幸雄騎手に打診したら、ビワハヤヒデに乗ると言って断られた。
次に武豊騎手に打診したら、ベガに乗ると言って断られた。
結局、去年の有馬記念で11位惨敗に終わった田原成貴騎手に落ち着いた。
騎手ならば、誰もが強い馬に乗って1位になりたい。 当然のことだ。
この時、トウカイテイオーは有力騎手からは「勝てる馬」とは見られていなかった。
単勝人気も、1番ビワハヤヒデ、2番レガシーワールド、3番ウイニングチケット、4番トウカイテイオーとなり、競馬ファンからも「過去の馬」のように見られていた。 単勝4番人気といえども、当時の実力から見れば、お情けのような4番人気だったのだ。

しかし、この有馬記念では、最終コーナーから最後の直線で先に抜け出し圧倒的な強さを見せつけたビワハヤヒデをトウカイテイオーが末脚で追い上げ、残り100mでビワハヤヒデをかわして先頭に立ち、そのままトウカイテイオーがゴールを駆け抜けた。

弘法は筆を選「ぶ」
筆は弘法は筆を選「べない」
それでも筆は、時に素晴らしい書を書く。

決して「政党から」選ばれることのない筆であっても、
私は素晴らしい仕事が出来る筆でありたい。